【Digital Shift Times 5周年企画】「AI時代に生き残るSaaSとは」。SmartHR芹澤氏×DNX Ventures倉林氏による特別対談

2024年6月で5周年を迎えたDigital Shift Times。2019年から2024年の間で、DXにまつわるトレンドは大きく変化してきました。そのなかで今回は、2019年以降、話題を保ち続けているワードの一つである「SaaS」を取り上げます。

SaaSを代表する企業として、SaaSユニコーンのSmartHR 代表取締役CEOを務める芹澤 雅人氏と、アーリーステージのB2Bスタートアップ投資を行うDNX Venturesのマネージングパートナー倉林 陽氏による対談が実現しました。

日本でも成長率の高いSaaS企業の競争が激化し、生成AIがめざましい進化を遂げる時代において、どのようなSaaSが生き残るのか。経営者と投資家、SaaS黎明期から業界を見てきた両者が「これからの時代に生き残るSaaS」をテーマに意見を交わします。

優秀な経営者の流入により、成長するSaaS企業が増加

――SaaSに関するこれまでの変遷を振り返ると、どのような分岐点があって現在に至っているとお考えですか?

芹澤:SaaSという概念は実は新しいものではなく、かつてはASP(※1)と呼ばれていた同様のWebサービスがたくさんありました。それが2015年くらいからSaaSとして注目され多くの人が活用するようになり、一消費者としてBtoCのサービスはもちろん、一従業員としてBtoBtoE(※2)の業務用のサービスも当たり前に使うようになっていったという変遷があります。

※1 ASP:Application Service Provider。Web上で提供されるサービス。
※2 BtoBtoE:Business to Business to Employee。企業の従業員を対象にしたビジネス。

倉林:投資家の視点でお話ししますと、以前はSaaSに限らず日本のスタートアップは上場したとしても時価総額が低く、海外の投資家からはあまり魅力的ではありませんでした。転機となったのは、スタートアップ企業に実力のある経営者が参入してきたことです。総合商社やコンサルティングファームなどで経験を積んだ人材がSaaS業界にも入ってきて、スタートアップの成功に欠かせない、経営陣のクオリティが大きく上がりました。

それぞれの顧客ごとにリソースを割いて独自のテナントが必要だったASPに対し、SaaSはシングルソース、マルチテナント(※3)が可能なスケーラブルなモデルです。SaaSは継続的にリカーリング(循環する)収益が得られる「Predictable(予測可能)」で「Sustainable(持続可能)」な仕組みといえます。しかもグロスマージン(粗利)は約8割です。話をまとめると日本のスタートアップの経営陣の向上と、 SaaSというビジネスモデルの素晴らしさ。これが日本にSaaSが普及した要因だと思います。

※3 マルチテナント:同一のサーバーやシステムを複数のユーザーが共有すること。

統合による再編成が進むSaaS業界

――生き残るSaaSとそうではないSaaSの差はどこにあるのでしょうか?

芹澤:どのビジネスも同じですが、マネタイズして持続可能な状態に持っていけるか。それがすべてだと思います。SmartHRを例に出すと、HR(Human Resources)の領域である程度ホリゾンタルにシェアを広げられたので、今後もその状態を維持していきます。ただ、それだけでは限界があるので、部分的にはバーティカルな展開もして、その掛け合わせが上手く行くかどうかが今後の鍵だと考えています。

――ホリゾンタルとバーティカルのどちらかに偏らず、上手く掛け合わせる戦略が必要ということでしょうか。

芹澤:それは領域にもよりますね。バーティカルで大きなARR(※4)を積み上げられる領域もあります。マーケットが十分に大きければ、そこをバーティカルに掘っていくだけでもT2D3(※5)を達成できるでしょう。

※4 ARR:Annual Recurring Revenue。年次経常収益。毎年得られる収益のこと。
※5 T2D3:ARRを毎年3倍、3倍、2倍、2倍、2倍(計72倍)のペースで成長させること。

倉林:現状、ARRの成長率が低いスタートアップは資金調達が難しくなりつつあります。そういった企業はどこかに吸収合併されるかもしれません。統合した組織がより大きなARRと成長率を生み出せれば、全体としては生き残りに勝利したことになります。SalesforceがSlackを買収したように、企業の統合は起こりえることです。

その点、SmartHRさんは素晴らしい成功をされていますよね。マネーフォワード、freee、Sansanといった日本を代表するSaaS企業に並ぶ存在、もしくは越えるかもしれない存在になりつつあります。一時期のスタートアップバブルでは成長率の低い企業も上場できましたが、今のマーケットではこれらの企業の規模に成長しないと十分な時価総額がつきません。

日本でユニコーン企業が生まれるポテンシャルは大

――アメリカに比べて日本ではユニコーン(※6)に指定されるSaaS企業が少ないですが、その現状をどのように見ていますか?

※6 ユニコーン:未上場で10億ドル以上の企業価値がある会社。

芹澤:そもそもSaaSの市場がそこまで成熟していない、という理由があるでしょうね。SmartHRはSaaS市場の成長とともに歴史を重ねていけたので、さいわいなことに、ユニコーン入りができました。私たちがサービスを提供し始めた2015年と比べると、マーケットサイズも大きく変わっています。もともと、オンプレミス(※7)のシステムやSIerが持っていた市場のユーザーがSaaS業界に流入することで、このマーケットは拡大してきました。今後チャレンジするSaaS企業が増えれば、ユニコーンになれる規模のビジネスも生み出せるでしょう。

※7 オンプレミス:サーバーやソフトウェアを自社内に保有すること。

倉林:私もSaaS企業には大きなポテンシャルがあると思います。SaaS企業が追いかけるSIerの世界ですが、大手SIerの売上は兆を超えますからね。野球に例えると2回の裏、3回の表が始まったくらいです。ちなみに、日本とアメリカの一企業あたりのSaaS導入数は、10倍の開きがあるといわれています。さらに、それだけSaaSが普及すると各アカウントを管理するためのSaaSも必要になってきます。これらの理由を見ても、日本のSaaS市場には大きなポテンシャルがあるといえます。

生成AIの登場でSaaSの価値はどう変わるか

――では、今後のSaaS業界の展望についての意見をお聞かせください。

倉林:生成AIでSaaS業界がどのように変わるのかは注目に値します。すべてのソフトウェアがAIに置き換わるとは思いませんが、「ソフトウェアの価値=顧客の生産性向上の割合」だとしたら、AIによって生産性が劇的に向上したときに、その価格はどうなるのか。これまでSaaSは大きな脅威に晒されてきませんでしたが、AIを導入するからには顧客のWTP(※8)を上げないと、高額な費用をいただくことは難しいでしょう。顧客への提供価値がどう変わっていくのか、いよいよ次のラウンドが始まると感じています。

※8 WTP:Willingness To Pay。この額までなら支払ってもいい、とユーザーが考える金額。

芹澤:僕もエンジニアとして、AIがSaaSにどう影響するのかはとても気になります。個人的な観点としては、生成AIはLLM (Large Language Models、大規模言語モデル)に代表される「言語系」と、「画像系」に分けられますが、前者は後者に比べてビジネスユースが進んでおらず、そこに可能性があると見ています。この言語系AIを上手く実装したSaaSが開発されれば、頭一つ抜ける可能性はあるでしょう。僕らも研究を進めていますが非常に楽しみです。

倉林:御社は研究に投じられるリソースも豊富にありそうですし、なにより社長である芹澤さん自身がエンジニアです。予算をつけて研究を進めることで、まわりと差を付けることができそうですね。

芹澤:僕はSaaSの役割として「業務効率化」と「意思決定支援」があると考えています。今、ほとんどのSaaSが業務効率化に目を向けているのは、顧客の課題にジャストフィットしているからです。けれども、意思決定支援が可能なSaaSはまだ存在していないと思います。AIの進歩により、この領域にまでSaaSが踏み込めると期待しています。

まだまだ属人的な意思決定に頼っている企業は多く、コンサルティング会社に多額の費用を払っているケースもあるかと思います。十分なデータがそろっていてば、AIによる分析でより高いレベルでの経営判断ができるようになる。それが僕のつくりたい未来の一つです。

芹澤 雅人

株式会社SmartHR 代表取締役CEO

2016年2月、SmartHR入社。2017年7月にVPoE就任、開発業務のほか、エンジニアチームのビルディングとマネジメントを担当する。2019年1月以降、CTOとしてプロダクト開発・運用に関わるチーム全体の最適化やビジネスサイドとの要望調整も担う。2020年11月取締役に就任、その後、D&I推進管掌役員を兼任し、ポリシーの制定や委員会組成、研修等を通じSmartHR社におけるD&Iの推進に尽力する。2022年1月より現職。

倉林 陽

DNX Ventures マネージングパートナー兼日本代表

富士通、三井物産にて日米のITテクノロジー分野でのベンチャー投資、事業開発を担当。MBA留学後はGlobespan Capital Partners、Salesforce Venturesで日本代表を歴任。2015年にDNX Venturesに参画し、2020年よりManaging Partner & Head of Japanに就任。これまでの主な投資先はSansan、マネーフォワード、Andpad、カケハシ、dataX等。現在も投資先20社の社外取締役を務める。

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