かつて「40歳定年制」を提唱した東大 柳川教授に訊く、生成AI時代を生き抜く「独学」のすすめ【スタディサプリ教育AI研究所 所長・GUGA理事 小宮山氏による「AI時代の教育変革」連載 第2弾】
2024/5/14
人とAIの共存が当たり前になっていく社会において、教育のあり方を再定義し、アントレプレナーシップ教育を推進する必要がある。この考えのもと、リクルート スタディサプリ教育AI研究所の所長であり、一般社団法人生成AI活用普及協会(GUGA)で理事を務める小宮山 利恵子氏が、「AI時代の教育変革」をテーマに、対談を通じて教育現場の実情や事例を紐解く連載企画。第2回の対談相手は、東京大学大学院経済学研究科・経済学部の柳川 範之教授です。柳川教授は、父親の海外転勤に伴いブラジルへ行き、現地の高校には通わず、独学で大検(大学入学資格検定試験)を取得。その後、シンガポールで慶應義塾大学の通信教育過程を受けて学者の道に進むという異色の経歴のもと、その経験を踏まえ「独学」という学びのスタイルを提唱されています。
生成AIがめざましい発展を遂げ、オンラインによる学びの場が普及し始めた現代において、自分自身で学びの指針を立て、自分のペースで学習を進める「独学」は、どのような意味を持つのか。柳川教授が、各世代において「独学」が有効であると語る理由とは。AI時代の学びのスタイルについて、両者が意見を交わします。
Contents
自分自身で学びの指針を立てることは、本来「楽しいもの」
柳川:僕は中学校卒業後に父親の勤務の都合でブラジルに行き、現地の高校には通わず独学で大検(大学入学資格検定試験)を取得しました。その後、シンガポールに行って慶應義塾大学の通信教育過程を受けて学者の道に進みました。独学の良さは、自分のスケジュールで好きなことを学べる点にあります。学びの速度は人によって異なりますが、今の日本の教育システムはカリキュラムが決められていて、全員が同じペースで進みます。独学であればそれぞれのペースで学習を進められるメリットがあります。独学といっても一人にこだわる必要はなく、仲間を見つけて協力しながら学習するのも良いでしょう。
――学習の内容や指針を自分自身で決めることは、受動的な教育に慣れた人にとってハードルが高そうに見えますが、そこはいかがでしょうか?
柳川:今の時代、学びのためのアプリやサービスが数多くあります。それらを活用すれば的確なガイドをしてくれますから、あまり心配はいらないかと思います。もう一つ覚えておいていただきたいことは、自分で計画や指針を立てて、自分のペースで学ぶことはとても面白いということです。ガイドをつけて観光地を巡るのもいいですが、自分で地図を見ながら知らない街を歩くことで、思いがけない場所を見つけられる楽しみもあります。学びも同じで、地図を片手に街を歩くような勉強をしてみると、楽しさや面白さをより味わえるかと思います。
小宮山:机上の勉強はもちろん大切ですが、それだけでは一次情報にたどり着けないんですよね。実際に現地に行ってどのように感じるかは、足を運ばないと分かりません。事前に見た素敵な写真のイメージで観光地に行ったら、ぜんぜん違って失望することもあるかもしれません。けれどもそれはそれでその人しか得られない価値の高い経験であり、そのような経験はAI時代になっても必要になるでしょう。
社会のエスカレーターは一つではない、複線型社会
柳川:不登校を積極的に勧めるつもりはありませんが、さまざまな選択肢があっていいと思います。日本では、一度社会のエスカレーターから落ちてしまったり、上手く乗れないと途端に落ちこぼれ扱いをされてしまいます。社会のエスカレーターには合っていないけれど、高い能力を持つ人は世の中にたくさんいます。そういった人たちが、社会で活躍できる可能性が広がることは大きなメリットです。自分からエスカレーターを降りる、積極的不登校という選択をした経験はもっと評価されてもいいでしょう。
小宮山:小中学生の不登校児童は30万人いるとの調査結果があります。今はオンラインで学ぶ手段も増えていますし、誰でもどこでもいつでも学べるような状況になりました。これは学びの選択肢が増えたということです。コロナ禍により様々な場面でリモートが普及し、オンラインの教育もとても身近になったと感じます。
柳川:今のお話のように、単線のルート以外にも複数のルートが用意された社会のことです。しかし、他のルートを選んだとしても、いつも順調に進むとは限りません。上手く行かないときには少し休んだり、途中で目的を変えて方向転換ができる社会が理想です。僕も、最初は公認会計士を目指していましたが、自分に合わないと感じて学者に方向転換して今に至ります。複数のルートから一つを選んでずっと進むのではなく、必要に応じて立ち止まったり切り換えたり、右往左往しながらそれぞれの道を探していける社会が複線型社会です。
――「初志貫徹」という言葉があるように、最初に立てた目標からブレないことを美徳とする風習がありますが、今の時代はその限りではないということですね。
柳川:技術革新により社会が変化している時代では、ゴールも常に変わるリスクがあります。そのような時代に、最初に決めた目標をひたすら追うことはベストな戦略とはいえません。社会や時代の変化に応じて時には休んだり、自分の目標も積極的に変えていくことがベターな戦略です。
独学力があれば、リスキリングの幅と自由度が広がる
柳川:40歳定年制とは、私が10年以上前に提唱した制度ですが、終身雇用が崩れた今、複線型社会のような考え方がかなりポピュラーになってきました。「リスキリング」という概念も生まれた現在は、40歳に限らず、各世代の人が学び直しの必要性を感じているかと思います。独学力をベースに、自分でプランニングしながらリスキリングを進めることで、選択肢も自由度も広がるでしょう。
小宮山:柳川先生は、独学のメリットの一つに「好きなことに集中できること」を挙げています。私が講演を行うと、参加された方から「自分の好きなことがわからない」という質問をよくいただくのですが、そういった方たちにアドバイスはありますか?
柳川:やはり、さまざまなことに挑戦することでしょう。好きな本や映画を見つけるために、多くの作品に当たってみるのと同じことです。そのなかで関心を持てるものが見つかったら、周りにも目を向けてみる。そこで違うと感じたら別の方向を探してもいいし、必ずしも自分にとってのベストが見つからなくてもいいと思います。他と比べて少しでも面白い、興味の湧くものが見つかれば十分です。
好きなことを主軸に、少しだけ異なる分野への挑戦を
柳川:これはなかなか難しい質問ですね。生成AIの出現により、新しいアイデアを生み出すことや、ゼロからイチを生み出すことなど、人間が有利に立てる能力が相対的に重要になってくるでしょう。独学では、自分の学びをプランニングして、さまざまな工夫をすることが求められます。この創意工夫こそが、生成AI時代の人間に求められる能力の強化につながると考えています。
――では、生成AI時代に独学がより普及した場合、教育機関にはどのような価値が求められるのでしょうか?
柳川:生成AIで多くのことができるようになっても、人間が学んで理解する必要のある部分は多く残ると思います。電卓が発明されても、小学校のカリキュラムから九九や足し算引き算が消えることはありません。学びのスタイルや学ぶ分野などが生成AIの発展により変わっても、学びの本質は大きく変わらないと考えます。どれだけAIの性能やコンピューターの計算能力が発達しても、私たち人間は読み書きから学び始めるでしょう。
独学で自分の勉強の仕方を工夫してみたり、自分の学びをさまざまな形で試してみたりすることは、生成AIにはできない人間ならではのクリエイティビティな能力を伸ばすことにつながるはずです。求められることは、一人ひとりの創意工夫です。
小宮山:私は、これまでとは「先生」の定義が変わってくると方々で発言しています。スタディサプリなど、デジタルの力で効率的に学べるようになった今、子どもの個性の発掘や、好きなことを学べる環境の整備などこそが、学校の先生の新しい役割なのではないでしょうか?子どもはゲームなど好きなことであれば、自発的にどんどん取り組みます。学びとは本来面白いものですし、好きなことが見つかれば子どもたちの好奇心も湧いてきますから、その環境を整備することが大人や先生の役割の一つになると思います。
――最後に、今、将来のキャリアや学びに対して悩みや不安を抱えている読者へのメッセージをお願いいたします。
小宮山:私が在籍しているリクルートでは、兼業も副業も認められています。今はリクルートでの仕事が主軸ですが、今後もし自分の会社を立ち上げて軌道に乗れば、そちらがメインになることだってあるかもしれません。これからはそんなキャリアも増えていくでしょう。
そこでお勧めしたいことが、柳川先生が提唱されているスキルの「斜め展開」です。自分のスキルを垂直的に伸ばすだけでなく、すこし異なる分野、すなわち斜めへの展開を図ってみる。私は今、寿司職人の修行もしていますが、これは真横への展開なんですね。まったく異なる分野ですからあたふたしていますが、今の仕事と関連のある斜めへの展開であれば、割となじめるかと思います。自分の好きなことを軸に、少しだけ異なる分野へ挑戦してみると、視界が開けてくるかもしれません。
柳川:ある程度の不安や悩みを抱えることは当然かと思います。先がなかなか見通せない時代だからこそ、しっかりと好きなことを続けていれば、それだけで十分という保証まではできないにしろ、好きで身につけたことは何らかの形で将来役に立つでしょう。未来が見えにくい時代に、「これをやれば絶対に大丈夫」といったものはありませんし、そこを疑う視点も必要です。いろいろと試行錯誤もしながら、自信を持って好きなことを続け、掘り下げていってほしいと思います。
柳川 範之
東京大学 大学院経済学研究科・経済学部教授
中学卒業後、父親の海外勤務の都合でブラジルへ。ブラジルでは高校にいかず独学生活を送る。大検を受けたのち慶應義塾大学経済学部通信教育課程入学。1988年慶應義塾大学経済学部通信教育課程卒業、1993年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。内閣府経済財政諮問会議民間議員等。
著書に『東大教授がゆるっと教える独学リスキリング入門』(中央公論新社)『Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」』(日経BP社、為末大氏との共著)、『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)等。
小宮山 利恵子
株式会社リクルート スタディサプリ教育AI研究所 所長/一般社団法人生成AI活用普及協会 理事
衆議院、ベネッセ等を経てリクルートにて2015年より現職。国立大学法人 東京学芸大学大学院准教授。東京工業大学リーダーシップ教育院、ANA、熊本県八代市等のアドバイザーを兼務。テクノロジー/AI、五感を使った教育、アントレ教育の領域を中心に国内外問わず幅広く活動。著書に『教育AIが変える21世紀の学び』(共訳、北大路出版、2020年)、『レア力で生きる 「競争のない世界」を楽しむための学びの習慣』(KADOKAWA、2019年)など。早稲田大学大学院修了。