デジタル戦略で生まれ変わるカインズ。ホームセンターからIT小売企業への変遷の軌跡【前編】

生産労働人口の減少を受け、日本企業はいよいよ生き残りをかけたデジタル化に取り組まなければいけないと言われるフェーズに入ってきました。とはいえ、それができている企業とそうでない企業との差が激しくなっているのも現状です。

そんななか、ホームセンター大手カインズでは、40年かけて積み重ねてきたホームセンターとしてのあり方を見直し、IT小売企業として生まれ変わろうとしています。カインズでデジタル戦略本部長を務め、戦略の指揮をとる池照 直樹氏に、同社のデジタル戦略についてお話を伺いました。

前編は、カインズがどのようにしてデジタル化を実現させていったのか、具体的な取り組みを交えてお届けします。

ざっくりまとめ

- かつてのカインズのデジタル組織は、Eコマースのためのものだった。
- Eコマースだけでなく、カインズ全体の売上のためのデジタル組織づくりに着手。
- デジタル人材獲得のため、表参道に拠点を設置。本社とは違う就業規則を導入するため、新会社を立ち上げた。
- あえてデジタル用語を使わず、常に顧客戦略としてデジタル施策を語る。
- 人口減少社会を見据え、デジタルの力を活用し会社全体の生産性を高める。

カインズのデジタル組織は、かつてEコマースのためのものだった

ーカインズが構造改革に取り組む前、デジタル施策はどのような状況だったのでしょうか?

もともとのデジタル組織は、ほとんどEコマースのためのものでした。当時は、デジタルマーケティングチームもありませんでしたね。カインズの売上は、現在4,410億円ですが、Eコマースはその1%に満たない程度の規模で、そのためにある組織だったのです。

そもそもEコマースについて、会社としては「新しい店舗が1つできた」ぐらいの感覚でした。そう考えるとこの売上は決して悪くありません。ただ、収益性の課題が大きく、売上高から変動費を引いた限界利益上も赤字で、売上を伸ばす以前に、収益性を改善しないといけなかったんです。

またカインズの場合、100円や200円といった少額の商品も多く、粗利率をいくら改善しても配送費用がかかると利益は薄くなってしまう状況だったため、なかなか打つ手がありませんでしたね。

カインズ全体の売上4,000億円のためのデジタル組織へ

ーそんな組織をどのように変えていったのでしょうか?

まずEコマースのチームを、デジタルマーケティングのチームとEコマースオペレーションのチームの2つに分解し、デジタルマーケティングチームにはカインズ全体の売上4,000億円のために仕事をしてもらうように変えました。Eコマースのためのデジタルマーケティングだけでは規模が小さく、いくら良い企画をつくっても売上に与えるインパクトには限界があったのです。

また、効果的なデジタル戦略を組み立てるため、顧客の整理と顧客戦略づくりにも着手しました。具体的にはお客さまを4象限のセグメントマップで整理し、どのセグメントからどのセグメントへと移行してもらうのか、また、そのためにどんなアプローチをするのかをデジタル施策も含め包括的に考えました。

カインズの場合、売上の約7割はカードおよびデジタル会員のお客さまで、かつ来店頻度の高い人が他のセグメントと比べてLTV(顧客生涯価値)が高かったので、その層の人を増やす施策を考えていきました。

具体的には、900万人ほどいる会員でないお客さまにデジタル会員になっていただき、カインズとお客さま間で双方向のコミュニケーションができるようにする。その上で会員の来店頻度を増やすためのマーケティング施策を行う、という戦略を組みました。

この戦略を満たすため、一つひとつのセグメントに対して施策を打っていて、たとえば約900万人の非会員の方々に対しては、カインズに興味を持っていただくため、オウンドメディアと広告を活用しています。そういった施策をコツコツやっていくことが重要で、現在はそれを実現できる人材の採用に力を入れています。

表参道に新拠点、就業規則を変えるために新会社設立。デジタル人材を集めるための施策とは

ー外部のプロにジョインしてもらうため、環境づくりで気をつけたことはありますか?

まず、表参道にデジタル人材を迎えるための拠点「CAINZ INNOVATION HUB」を構えたことは環境づくりの一つです。本社は埼玉県本庄市にありますが、都内からよりアクセスの良い場所に拠点をつくりました。

また、就業規則も変え、フレックスタイム制度を導入しました。リテールの場合、決められた時間ぴったりにお店を開ける必要があるため、店舗メンバー向けにフレックスタイム制を導入するのは不可能でした。ただ、他のデジタルマーケティング会社の就業規則や、ITエンジニアの就労環境を調べていくと、明らかに勤務時間9時〜6時半という会社は魅力的に映らないだろうなと感じました。

就業時間に限らず、画一的なルールで統制が取れていることは、特にリテール業界においては大事だと思います。ただ、クリエイティブな仕事には自由も必要で、自分たちの業務以外のことに気を遣わせたくないなと考えていました。そこで、新しい就業規則を導入しようと考えたのです。

このように勤務地や就業規則を変えるなどを実現するために、カインズテクノロジーズという会社をつくりました。カインズ全体のルールを変えれば良いという意見もありましたが、約2万人のメンバーが関わる人事制度を変えるには時間がかかります。だからこそ別会社で、まずは小さく新しい働き方を始めることにしたのです。今、「CAINZ INNOVATION HUB」で勤務しているメンバーに「『本社に毎日出社して』と言われていたら、入社した?」と聞くと、「はい」と言う人はいないでしょうね(笑)。

デジタル施策を社内で理解してもらうために。デジタル用語を使わず、あくまで顧客戦略を語る

ー組織の構造改革を進める上で気を付けていたことはありますか?

デジタル戦略に対して社内からほとんど批判的な意見は出なかったですが、何のことかよく分かっていない人は多かったと思います。だからこそ大切にしたのは、あえて顧客戦略という言葉を使い、デジタル用語をなるべく使わないことです。デジタル用語を多用すると、どこか「インチキくさいな」と思われてしまう傾向があるためです。

私自身はソフトウェアを売っていた経験もあり、難しい言葉を使ってしまう気持ちはよく分かります。しかし、そのような言葉選びだと、これまでデジタル施策に携わってこなかった人たちにとっては、何のことかよく分からず、同じ方向に進めないと思ったのです。

小さな規模の会社であれば、力ずくで動いてもらうこともできるかもしれません。ただ、売上4,000億円、メンバー2万人規模の会社においては、組織全体に理解して動いてもらわないといけません。そのためには戦略・方針の共有は一番大事で、それをやらずに一足飛びでデジタルと言い始めるのはうまくいかないと思うのです。

カインズのメンバーは皆が商売人なので、商売の話であればいくらでも語れますし、想いもあります。彼らはこれまで物を売ってきたわけで、主役はあくまでも商品だと考えていて、デジタルマーケティングなどの仕掛けは黒子的なポジションに過ぎません。彼らの考え方に合わせて、コミュニケーションをとることが重要なのです。
ー組織の構造改革は最初からうまくいったのでしょうか?

そんなことはありませんでした。採用ルール、人事のルールと、新しくすると、どこかに抜け漏れが出てくるものです。このケースはどうするんだ、あのケースはどうなるんだと。また、経営側が3~4人しかいないのに、いきなり30人も新しい人材が入ってきたので、みんなが向いている方向を揃えるのにも非常に苦労しました。

当時のマネージャー層には、2ヶ月ほど組織運営を任せ、その後適正を考慮して組織の再編を行いました。それからはようやく回るようになってきたかなという印象です。

急いで組織をつくった背景には、事業計画に間に合わせることを意識した点があります。1年も2年もかけて成果を出しても我々の価値を認めてもらうのは難しく、とにかく早く成果を出すことが重要だと考えていました。

そのため、店舗スタッフをどうやって巻き込めばいいのかを非常に意識しました。とくにリテールの現場にいる人たちは、普段からITに触れているわけではないので、協力してもらうことが難しいと思っていたんです。なるべくデジタル用語を使わず、いろんな数字を組み合わせて、何に協力してほしいのか丁寧にコミュニケーションをとっていきました。

おそらく現場の人たちは最初「何をやる気なんだろう?」と戸惑っていたと思います。店頭で実施したキャンペーンに関わってもらうと「ああこういうことか」と分かってもらえるようになってきたので、さらに店舗で使うアプリの導入などを進めていきました。いろんなデジタル施策を行うようになってから2年近く経ち、ようやく現場の人たちにも積極的に関わってもらえるようになってきたのかなと思っています。

デジタル化成功は、成長ストーリーを描けるかにかかっている

ー新しい組織づくりを進める際、既存の文化と対立はしなかったのでしょうか?

いくつかはあったと思います。たとえば、身だしなみでしょうか。
カインズではお店に出ることが多いので、基本的に本社に勤めているメンバーも、お客さまの前に出ても大丈夫な身だしなみで働いています。なんとなくブルーのジーンズに白いシャツを着るという暗黙のルールをみんな守っていて、明言はされていませんが茶髪もヒゲもダメでした。

それに対して新しいチームは、人に不快感を与えない格好であれば問題ないとしていたので、身だしなみに対する意識に差が生まれましたね。
ーデジタル化を推進する新しい組織をつくる上で気をつけるべきことは何でしょうか?

最初に、成長ストーリーを描くことです。それがないまま始めてしまうと、ただお金を失うだけになってしまうリスクがあります。とりあえずWeb広告を始める、MA(Marketing Automation )をやる、という手段だけが先に来るとうまくいかないと思います。

その上で社内に対し、どこに向かおうとしているのかを明確なメッセージとして届けることが必要だと思います。我々が組織をつくったとき、採用の際はヘッドハンターさんに戦略を全部お伝えしていましたし、入社後のメンバーに対しても、どこに向かうのかをしつこいくらいに伝え続けました。目指すべき北極星のような指針があることは、組織づくりにおいてすごく大事だと思います。

人口減少社会を踏まえ、効率化とデジタルの掛け算で成長をもたらす

ー今後の展望を教えてください。

我々がこれまでやってきたのは、どちらかというと売上を上げる仕掛けづくりでした。ただ、会社のIT組織がすべて私の下に統合されることを受け、これからは人時生産性(従業員1人が1時間働く際の生産性)の改善にメインで取り組まなければいけないと思っています。

その背景には、人口減少によって働く人の数が減っていて、人件費がどんどん上がっていることがあります。カインズでは数百億円の店舗人件費がかかっていますが、そこが10%削減できれば、会社としては大きく成長できます。

具体的には、品出しやレジなどの作業に携わるメンバーをどれだけ楽にしてあげられるのかが重要だと考えています。1人の1日の作業時間を1時間削ることができれば、2万時間近く削減できるわけで、それが365日となると非常に大きな効果を生みます。

細かいオペレーションをコントロールして、1%でも2%でも効率化できれば、デジタルの力で同じことをスケールさせることができます。この掛け算を起こせるのがデジタルの良さだと考えています。

池照 直樹

株式会社カインズ デジタル戦略本部長

日本コカ・コーラ、日本オラクルを経てケイ・ピー・アイ・ファクトリーを設立。その後、マイクロソフトに入社し、Dynamics CRMの開発チームの一員として、新機能の企画やロールアウト、大型案件のプロジェクトサポートを行う。 エノテカにおいて最新のテクノロジーを利用したOne-to-Oneマーケティングを実践後、「IT小売企業」へのビジネスモデル変革を掲げる株式会社カインズに入社。デジタル戦略本部長として経営改革プロジェクトの先頭に立つ。

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