カインズはどのようにデジタルマーケティングを成功させたのか。 ホームセンターからIT小売企業への変遷の軌跡【後編】

ホームセンター大手カインズにてデジタル戦略本部長を務め、ITを活用したデジタル戦略の指揮をとる池照 直樹氏。世の中の変化に対応すべく、40年かけて積み重ねてきたホームセンターとしてのあり方を改革し、IT小売企業として生まれ変わろうとしています。同社のデジタル戦略について、株式会社オプト エグゼクティブスペシャリストの伴大二郎が伺いました。

後編は、カインズがデジタル化において掲げている「Emotionalな顧客体験の創造」やデジタルマーケティング施策など、デジタルを活用した具体的な取り組みについてお話を伺いました。

ざっくりまとめ

-「Emotionalな体験を届けるためのデジタル化」とは「イヤだなぁ」をなくし、驚きを与えること。
-社内のプロ並みの情報通=フェチをメディアで発信したり、新商品開発に活用したりして、Emotionalな顧客体験の創造を行っている。
-MA構築の際は、数字や統計から入らない。「どんなお客さまがいるかイメージし、グループ化すること」が重要。
-デジタル施策の説明にはデジタル用語を使わず、シンプルな言葉で語る。
-デジタル化を成功させるには「投資だから」と理由をつけてBSに逃げず、PLにコミットする設計を考えることが重要。

カインズ流「Emotionalな体験創造」の鍵は社内のプロ並みの情報通=フェチの発信!?

:カインズさまは、効率化はもちろん、お客さまにEmotionalな体験を届けるためのデジタル化を進めていらっしゃいます。改めて、Emotionalな体験とはどんなものなのでしょうか。

池照:Emotionalな体験にもいくつか種類があり、「イヤだなぁ」と感じることをなくしていくものと、驚きを与えるようなものとがあります。
例えば、各店舗は非常に広く、お客さまにとって欲しい商品を探して歩き回るのは大変なことです。そのため、欲しい商品の場所や在庫数がアプリで分かるようにしています。これは「イヤだなぁ」と感じることをなくしていくというEmotionalな体験のひとつです。
一方、驚きを与えるようなEmotionalな体験については、お客さまにリピートしてもらえるような密接な関係づくりを目指して設計しています。

カインズは1989年に設立されましたが、実はその10年前から「いせやホームセンター」としてオープンしていますので、40年以上ホームセンター業界に携わっています。そうなると、最長で40年間勤めてくださっている方がいて、その方は職人並みの知識を持っています。勤続40年といかなくても、植物のコーナーを任されている人であれば植木職人並みの知識を持っていますし、DIYに関してはセミプロとも呼べる人もいます。
そういう、プロ並みの知識を持った情報通=フェチがたくさんいるにも関わらず、これまでは埋もれてしまっていました。そこで、その人たちの情報をきちんと外に出すだけでもすごく価値があると思い、「となりのカインズさん」というメディアを立ち上げました。

:カインズさまの中の人が持っているものは、企業が持っている資産や文化なので、他社が真似しづらいところでもありますよね。

池照:そうですね。我々にしかできないことだと思います。社内のフェチが持つ知見は商品づくりにも活かされていて、例えば洗濯バサミひとつとってみても、他とは違うものをつくっていて、びっくりされることがあります。
商品開発にはお客さまの声も取り入れますが、我々自身も生活者なので「もっとこうなったらいいのにな」と感じる部分をしっかり反映することを心がけています。週に一度は何らかの新商品のお披露目会があり、ああでもないこうでもないと、カテゴリーに拘らず、みんなで集まって話し合ったりしますね。

:なるほど。改めて、カインズさまは小売としての一面よりも、SPA(Speciality store retailer of Private label Apparel)、とくに商品開発側の一面が強いのだなと感じました。デジタル化を進めるなかで、これまでのSPAに何か変化はありましたか?

池照:商品開発についてはそこまで変わっていないですね。トレンドの把握やキーワードの設定はデジタルでできることもあると思いますが、今はもっと生活に密着している人たちと話すようにしています。

これまでの常識を疑え。「お客さまの滞留時間が長い=売上アップ」は本当か

:お店づくりについて、気をつけていることはあるのでしょうか?

池照一番大事にしているのは、お客さまがお店で不便に感じないようにすることです。例えば、取り置きのサービス「CAINZ PickUp」をはじめたのは、遠隔地からわざわざ来てくださるお客さまが、ちゃんと欲しいものを手に入れられるようにするためでした。お客さまの不便を解決するのに、突飛なアイデアは必要ありません。お客さまが困っているところを実直に解決していくことが我々の仕事だと考えています。

:シンプルですが、誠実に取り組んでいるところがポイントだなと思っています。日本ではシステムを導入しても、結局使う人があまりおらず、サービスがなくなることも多いです。1990年代は海外のスーパーマーケットを中心に「お客さまの滞留時間を長くしなさい」「できるだけお客さまに通路を歩いてもらいなさい」と言われていました。今でもこの言説から脱していない企業も多いなか、なぜカインズさまでは「お客さまが欲しいものをスッと買って帰れる」という方向にシフトしたのでしょうか?

池照EC化の加速により、欲しいものをすぐ手に入れたいと考えるお客さまが増えてきているからです。買い回りのための仕組みは、それをやりたい人のために別で投入すればいいとは思いますが、今は、欲しいものがすぐ手に入るためのサービスが基本なのかなと思っています。

商圏が距離に比例する時代は終わり。いい商品をつくること自体がマーケティングに

:デジタルの魅力のひとつは検索性の高さで、これまでの「商圏=距離×店舗の広さ×品揃え」というホームセンターの公式をひっくり返す可能性があると思っています。商圏の形成について、デジタルを掛け合わせるメリットは感じますか?

池照:感じています。従来の伝統的なリテールは、店を置いたらその周りの人口次第でお客さまの数が大きく左右されていました。人口は急には増えないので、毎年の成長率は3%もあればいい方でした。
ただ、幸いなことに我々のお客さまには比較的広域から来てくれている方もいらっしゃいます。カインズに置いてある商品が欲しいとか、大容量でまとめて買いたい、といったニーズがあるのです。そんな人たちにお得な情報を届けるには、小売の伝統的なマーケティング手法であるチラシは不向きでした。配布エリアが広がるにつれ、半径×二乗でお金がかかり、費用対効果が高くなかったからです。それなら、安くて面を取れるやり方をしようと考え、Web広告を始めました。

:マーケティングにおいて、カインズさまにしかないものをアピールすることも重要だと思いますが、そのためにされていることはありますか?

池照:社内のフェチな人たちがプライベートブランドを作っていること自体が、実はマーケティングのサポートになっていると思います。
どれだけお店のことをアピールしても、最終的にお客さまが求めるのはいい商品です。それに応えるのに一番有効な手段は、結局はいいモノを置くことです。チラシやデジタルマーケティングは、いわばデパートでいうところの包装紙をつくっているようなもので、商品をつくっているわけではないんですよね。

統計的な分析より、現場の声を聞け。MA構築のポイントは、「どんなお客さまがいるかを考え、グループ化すること」

:新規のお客さまを増やすのと合わせて、お客さまに定着してもらい、リピーターになってもらうことも重要かと思います。そのための仕掛けを教えてください。

池照:カインズは、私もたまに買い物したりしますが、1回買い物していただくと「安っ!」と皆さん驚きます。そのEmotionalな体験をサポートする仕掛けが重要だと考えています。

:なるほど。具体的にはどんなことをしているのか教えてください。

池照:マーケティングオートメーション(MA)を導入しています。導入の過程で悩むことはありませんでしたが、導入したシステムを進化させる仕組みは考えました。基本的に、新しく導入するツールは、入れればすぐに動くわけではなく、使う側のリテラシーとともに良くなっていくものです。とくにカインズでは、データ周りの業務を行っている人がMAのプロというわけではなく、どうやってシステムを育てるべきか悩みました。
ただ、MA導入を担当したスタッフは皆、お店に出ていた経験があり、どんなお客さまがいるのかを分かっていました。それさえ把握できれば、あとはそれぞれのお客さまをどうやってデータ的に抽出すればいいか考えるだけです。POSデータやウェブログを活用し、数値によって条件分けすれば、理想のお客さまを絞り込むことができます。

:なるほど。私もよくクライアントからMAを導入したいと相談を受けますが、システムを構築するにあたって、統計的に分析するより現場の人たちの声を聞いた方が、精度の高いものがつくれるなと感じています。

池照:そうだと思います。うまくいかない人は皆さん数字から入ろうとする傾向がありますよね。私は分析をするとき「統計から入るな」という話をよくします。統計から入るのは、雲の中に手を突っ込むようなもので、いろんな情報を揃えるのに時間がかかってしまいます。なので「自分で考えた、こういう人がいるんじゃないかっていう人を探してみなさい」と現場には伝えています。
なので、MAについて考えるとき、最初にやっているのはサンプリングで、お客さまが実際に何を買っているのかをトランザクションベースで見ることです。次にそのお客さまがどんな人なのかを調べます。シート、セメント、ヘラを買っている人が左官業を営んでいる方だったと分かれば、その3つの商品を抑えればいいことが分かります。

:結局、統計的なアプローチではRFM分析とほぼ変わらない効率性を重視したものになってしまいますよね。ただ、マーケティングで必要なのは施策効率の良し悪しに当てはまるお客さまを探すことではなく、買ってくれる可能性が広がるお客さまのグループをつくることであり、そのためにデータを使う必要があると思っています。

池照:そうかもしれないですね。私はデータベースの業界が長かったので、「できないこと」をよく知っています。MAがうまく構築できないと言っている人たちは、私からするとできないことをやろうとしているように思います。基本的には、ITに人間の代わりは務まりません。唯一可能なのはスケールを生み出すことです。
例えば私が営業マンだった場合、10人のお客さまのことは覚えられますが、100人だと難しく、1,000人になった瞬間に不可能になります。それが、データベースやMAを活用すれば、人間がやるより荒っぽくはなりますが、たくさんの顧客を管理したり、営業をかけたりできるようになります。

デジタル施策を成功に導くコツは、デジタル用語を使わないこと

:ありがとうございます。まさに、MAツールについては悩んでいる会社が多いと思います。何をすればうまくいくのでしょうか?

池照:実は自社の商品をお客さまにオススメするパターンはいくつかしかなく、それを見直し、システムに落とし込んでいくことが必要だと思います。

:その通りだと思います。カインズさまではデジタル会員化も進められています。これもまたうまく導入できていない企業が多いなか、成功している背景には何があるのでしょうか?

池照:デジタル会員化に限らず、新しいことを始める場合に共通するポイントですが、施策に関わる全てのメンバーに、積極的に協力してもらえていることだと思います。
その際にやらなければいけないことがいくつかあります。まず、どこに向かうのかをきちんと話すことです。また新しいアクションが、関わる人にどんな得をもたらすのかも話さなければなりません。

カインズがデジタル会員化を進めた際は、まずポイントカードを持っているユーザーさんが売上の7割を占めているというデータについて共有しました。次に、その売上の差には、ユーザーさんへのアプローチできるか否かが関わっているのだと仮説を立てました。そう考えると、一人会員化することでどれほど売上が変わるのか数字として出せるようになりますので、その数字を示しながら社内にデジタル会員化のメリットを説明しました。
その際、一連の説明にはデジタル用語を一切使わずに語りきることも重要です。いきなりデジタル用語を並べても、現場のスタッフからすると「はぁ?」って感じですからね。だから例えば「デジタル会員になってもらうと、1人3,750円売上が上がるんです」という言い方をするんです。そういうシンプルな語りかけが重要だと思います。この時点で協力体制をつくるための仕事の8割は完了しています。納得してもらっていればちゃんと動いてもらえるんですよね。

あとは、結果をちゃんと伝えることが大事です。店舗メンバーはいつも、毎日褒められて仕事をしているわけではありません。ときには、お客さまから苦情をもらいながら頑張っています。だからこそ、ちゃんと会員を増やしてくれた分だけ「あなたのおかげでこの半年でこれだけ売上が増えました、ありがとうございました」と評価することが重要です。
店舗には約15,000名のメンバーがいるので、その人たちが会社に対してどういったいい影響を与えたのかをきちんと話してあげることが、いいサイクルをつくることにつながるのかなと感じます。

「投資だから」と逃げてない?デジタル施策実現に向け、PLへのコミットを徹底的に考えよ

:デジタル活用の際、意識していることを教えてください。

池照:デジタルは、ハイタッチ(大口顧客に対するアプローチ)を増幅させることしかできないということです。デジタルマーケティングを含め、もともと0のものはいくら増幅しても0でしかありません。そもそも、0ではなく1、つまり増幅できる対象があることは我々の強みなのだと思います。

:その考えをベースにカインズさまでは、元々持っていた強みをうまく活かすという方向性でデジタル化を進めていったのですね。

池照:おっしゃる通りです。うまくいっているように見えるものは、もともと増幅する対象があったということです。私が自社のデジタル化についてオープンに話してしまうのは、増幅する対象もその活かし方も会社によって全然違うからでもあります。
結局、機械は機械でしかなく、人間が息を吹き込まないと動きようがありません。そもそも、「マーケティングオートメーション」という言葉自体がちょっとおかしいとも思っています。マーケティングをオートメートしてくれるような便利な仕組みは世の中にないんですよね。

:同感です。人が思いつかない仮説を機械が思いつくことは、きっと一生ないようにすら思います。そこに期待しすぎる傾向がありますよね。私としては、デジタル化を成功させるためには、PL(損益計算書)にコミットし、「投資だから」と理由をつけてBS(予測貸借対照表)に逃げないことが大事だと感じます。

池照:同感です。もし私の部下がBSに逃げた提案書を持ってきても、却下してしまうと思います。マネジメントチームの興味は「いくら投入して、いくら儲かるのか」でしかなく、いくら定性的なことを語られても「それっていくらの売上になるの?」に答えられないと我々の仕事は終了です。間接的にでも、PLにヒットする絵が描けていなければ、承認を得るのは難しいのではと思います。

池照 直樹

株式会社カインズ デジタル戦略本部長

日本コカ・コーラ、日本オラクルを経てケイ・ピー・アイ・ファクトリーを設立。その後、マイクロソフトに入社し、Dynamics CRMの開発チームの一員として、新機能の企画やロールアウト、大型案件のプロジェクトサポートを行う。 エノテカにおいて最新のテクノロジーを利用したOne-to-Oneマーケティングを実践後、「IT小売企業」へのビジネスモデル変革を掲げる株式会社カインズに入社。デジタル戦略本部長として経営改革プロジェクトの先頭に立つ。

伴 大二郎
株式会社オプト エグゼクティブスペシャリスト

小売業界にてCRM戦略やデータ活用の戦略立案、サービス開発に従事したのち、2011年オプト(現デジタルホールディングス)入社。マーケティングコンサルタントを経て、2015年よりマーケティング事業部部長として事業拡大に向けた新たなコンサルティング組織の立上げに参画。2019年4月よりエグゼクティブスペシャリスト就任。

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