アサヒビールの“攻めのデジタルマーケティング”はどのようにして生まれたのか

日本の飲料業界を牽引するアサヒグループ。中でもビールを始めとしたアルコール飲料の製造・販売を行っているのがアサヒビール株式会社だ。同社はテクノロジー活用に力を入れており、「攻めのIT経営銘柄」に5年連続で選定されている。そんな同社で、デジタルマーケティング部の創設メンバーとして、SNSコミュニケーション全般の設計やDMP※の構築など、マーケティング分野のデジタル化を牽引してきたのが玉手 健志氏だ。大企業の中でマーケティングのデジタル化を推進し、今もなお新しいチャレンジを続ける中で見えた、大企業がデジタルシフトするために必要なものとは?株式会社オプト エグゼクティブスペシャリスト伴大二郎氏がお話を伺った。

※Data Management Platformの略。自社サイト内で集めたデータ、Web上の様々なサーバーに蓄積されるデータを一元で管理・分析し、広告配信などの施策の最適化を実現するためのプラットフォーム

デジタルマーケティングでアサヒビールの新しい挑戦を牽引

:まずは現在の業務内容について教えてください。

玉手:アサヒビール株式会社のデジタルマーケティング部のメンバーとして、DMPの構築や自社のデジタルトランスフォーメンションの推進に携わっています。

:デジタルマーケティング部の創設メンバーとのことですが、新しく創設された部の中でこれまでどんな仕事をされてきたのでしょうか。

玉手:Twitter、LINEなどのSNSを中心としたデジタルメディアを活用したコミュニケーション設計と、セールスプロモーションなどの具体的な施策周りの企画・実施等を行ってきました。アカウントの開設から追うべき目標・指標周りの定義、発信するコンテンツの制作にアンケート設計などコミュニケーション全般に携わりました。

:これまでなかった新しい施策を進めるに当たり、どんな苦労がありましたか。

玉手:部の創設は2014年だったのですが、デジタル領域の有効性について社内に知見がない状況の中、デジタルマーケティング施策を提案し、進めていくことに苦労しました。つまる話「デジタルは本当に会社の役に立つのか?」という問いですね。当時はテレビCMと比べるとどれほど効果が上がるかが不明瞭でありで、会社としてもデジタル部門からの提案を聞き入れることに不安があったのだと思います。

:どうやって乗り越えたのですか?

玉手:「社会の大きな流れとして世の中は絶対にそちらに流れていく。会社をよくするためにはデジタルの活用が必要だ」と丁寧に伝え、密に社内でコミュニケーションをとりました。

私は自社のことが大好きです。新卒で入社した会社で思い入れもありますし、長年勤め、一緒に働く人や会社が生み出すものを好きだと感じています。アサヒビールは社員のなかにそんな暗黙の前提がおかれている会社なので共通のゴールを「我々が働く会社をもっとよくしたい」というものにすると比較的話を聞いてもらえると感じていました。大前提として、目指すところが同じなので前向きに話が進められたのだな、と今振り返ると思います。

世間で一般的に言われている「デジタルはあくまで手段でしかない」という意見には概ね同意です。一方でこれだけ我々の生活にデジタルが「当たり前の物」として織り込まれているのにも関わらず、自分の仕事だけは従来のアナログなままでよいとは言えません。そんなモヤモヤを自分が抱えていたからこそ、会社をよくするためにはデジタルを「当たり前の物」として活用していかなくてはいけないなと思っていました。特に、育ってきた時代に当然の様にデジタルが存在していた比較的リテラシーが高い若い世代は、会社のデジタル活用に関して、責任を背負う立場にあるのではないかと考えています。

SNSマーケティングをP/L、BSの枠組みで考える

:SNSを使ったマーケティング施策を進める中で意識していたことはありますか?

玉手:あります。特に意識していたのはお客さまとのコミュニケーションを設計する
ときにP/L(損益計算書)やBS(貸借対照表)的な観点を持つことです。

もうすこしかみ砕いていうと、そのコミュニケーションの目的は①「すぐさま売り上げや利益を生み出すこと」なのか、はたまた②「生活者の脳内に、未来の購入の一助となるようなブランド・イメージ資産を残すこと」なのか、といった問いです。

例えばTwitterで企業の公式アカウントが毎日特定のテーマについて首尾一貫して発信を続けていたとすると生活者のなかに「あのアカウントってこうだよな!」っていうイメージや合意が形成されると思うんです。また、公式アカウントからお礼を言われたことがある経験は、生活者からすると一方的にぶつけられる広告よりもずっと記憶や体験として残り続けると思うんです。こうして蓄積された「資産」が実際に生活者の意思決定や購入プロセスに影響を及ぼすということをBS的なコミュ二ケーションと呼んでいます。特にTwitterなどは人間っぽさが他のメディアに比べて出るからこそ、その点は特に考えながらコミュニケーションをしていました。

一方、LINEは圧倒的スケールと即時性。投資に対して事業指標を明確に押し上げられるメディアだと思っており、P/L的な発想でその運用方法を考えるようにしていました。リッチなメッセージを、伝えたいタイミングで、伝えたい相手に届けることができるところが他のSNSとは全然違います。

デジタルマーケティングはその効果を計測することはできますが、全体を捉えられるわけではなく、そのインパクトを大きく見せるのは難しいと思います。そんな中でもP/LやBSの枠組みで捉えるなど、売上への貢献を目標に置き続けたのですね。
玉手:そうですね。組織で働く以上、目的や目標は必要だと思います。ある程度可視化されていて、その達成度合いで評価をすることが求められるからです。そうなるとどうしても目先のクリック数やフォロワー数など目に見えるわかりやすい数字を追いかけがちです。

一方で、俯瞰して自分の仕事を見たとき、我々はクリックを積み重ねるためにではなく、会社と社会を良くするために雇用されているわけです。会社を良くするということを考えたときに大きな方向として「売上を上げる」、「利益を上げる」、「ファンを増やす」、などいくつかアプローチがあるかと思います。そう考えたときに、デジタルマーケティングの効果目標を設定する際に考えなくてはいけないのは、目の前に見えていて追っているそれっぽい数字が果たして会社を良くすることと相関があるのか?ということです。

設定した目標が達成されたとき、会社が本当に良くなるのか?、この点についてしっかり社内でしっかりと議論を重ねるべきだと思います。私自身、施策を進める中で「本当にそれがゴールでしたっけ?」と良く話すのですごく面倒くさがられてると思います。(笑)

あなたの会社が持つデータは「良いデータ」なのか

:企業の経営陣がデジタルマーケティングを進めるためには、まずは自社の現状を正しく分析する必要があると思います。どうすればそれができると思いますか?

玉手:難しいですね。デジタルマーケティングとかデジタルコミュニケーションといっても幅広いので、まずはデータ活用、その中でも「良いデータの定義とそれらを活用した課題の解決」に絞って考えはじめるのが良いのではと思います。

データ活用において、おそらくほとんどすべての会社がまず最初にやることは社内外にある大量のデータを集めることです。その後、集めたデータを整理し、BIツール※などを使って可視化し、POCなど行なっていくと思います。

ただ、深く考えずにやみくもにデータを集め始めると、可視化した時点で「何千万円もかけたのに自明なことしかわからなかった」と活用を止めてしまったりします。また、頑張ってテストマーケティングなど始めたとしても、すぐに成果が出ず、やっぱり活用の手を止めてしまいます。このタイミングでデータ活用を断念してしまう会社は沢山あると思います。ではどこでボタンを掛け違えたのか?おそらくそれは「①データを活用して解決したい課題が明確ではなかった」「②課題解決に向けて活用したデータの質と量が不十分であった
という2点につきるのではないかと思っています。

漠然と「とりあえずデータを使ってみよう!」と動き出すのと、「何度も同じ人にメッセージを送ってしまうことを防ぎたい」、「もっと生活者に喜ばれるプロモーションを打ち出したい」といった課題感や困りごとに立脚している場合ではアプローチのシャープ度合いが変わってくると感じています。

「事実と解釈」をごちゃまぜにせず、あらゆるフェイズでの意思決定がデータを基に決められ、たとえデータから外れた選択をする時でも、意思を持って決定することができるようになっている状態。未来に対する予見と洗練された意思決定を高い水準で全社的に行えている状態がデータ活用の最終形だと感じます。

:おっしゃる通りだと思います。特にデータ活用では集めるデータの質も問われてくるのだと思います。実は経営活動やマーケティング活用に必要なデータは取りにいかないと手に入りませんよね。

玉手:そうですね。ただのデータと良いデータの違いをちゃんと分けて考える必要があります。例えば質量ともに十分でも市場で簡単に購入可能なデータは、競合もまた購入可能であるため必ずしも良質なデータとは言いきれません。

例えば自社の場合、酒類製造業でありBtoBtoCの構造であるため、生活者の手に届くまでに必ずお得意先様が介在します。なので、生活者の購買に関する良いデータを入手する難易度は比較的高い環境です。一方で、GAFAをはじめとしたプラットフォーマーや大手流通といった、生活者と直接接点を多数持つ企業には良いデータが蓄積され続けます。

そういった意味では我々はどちらかというとデータ弱者側に分類されると思っています。だからこそ、コストやエネルギーをかけてでも良いデータを取得しさらなる価値を生活者やお得意先様に還して行かなくてならないと思っています。

我々は良いデータを「生活者に関する連絡可能な1ID」と定義しておりそれに顧客の行動や思考といった情報が紐づいたものだと考えるようにしています。

データ活用をさらに推進したいと考える企業の方々は、まず自分たちにとって良いデータは何なのか?また、自分たちが置かれる環境はデータ取得に関して「弱者か強者か」ということに目を向けるところから始めるべきべきであると思います。

会社として、どんなデータの取得に投資するのかは本当はもっと議論されるべきで、「最近外部のセミナーで聞いてきたらXXXというアプローチがどうも良いらしいんだ」という思いつきの手法論に終始してしまってはなかなか企業としてのブレークスルーを生みづらいのではないかな、と思います。

こういったことを考えていくとこれからの時代に求められる人材像は、もちろん徹底したデジタルマーケティングスペシャリストも大事ではあるのですが、それ以上に自社の事業の構造と特性を理解していて、ビジネスの全体像を把握している、その上でデジタル領域について知見がある人なのかもしれません。

※BIツール:「ビジネスインテリジェンスツール」の略で、企業に蓄積された大量のデータを集めて分析し、迅速な意思決定を助けるのためのツール

今の環境に縛られず、大局を見て自分の投下リソースを決める

:最後に、玉手さんの今後の展望を教えてください。

玉手:個人的には物事を短期ではなく長期で考え、大局観をもって行動していきたいと考えています。海外のエグゼクティブプレイヤーの話を聞くと、サスティナビリティやダイバーシティといったテーマの話が常にでてきます。「持続可能である」や「多様性を認めること」といったことは今後必ず重要な要素として我々の社会や生活にも密接に織り込まれてくると思っています。

世界的に重視され始めた指標の達成に向けて行動し続けることで、10年後「あの会社は社会にとって良いことをしている会社だよね」と人々から思われるようになるなら多分正しい方向に進めているのではと思っています。大きな流れで見ると、社会を幸福にしている会社が残るようになっているのだと思います。

だからこそ、社会的意義は、自社の活動に息をするように織り込んでいくべきで、自然とその前提で会話ができている会社が強いと思います。

また、テクノロジー面でも、大局的に世の中の流れを捉えて進むべき方向を決めることが大事と思っています。例えば、2000年代後半の頃、マーケティングをやっている人たちは「おそらくこの先10年、生活者が使うデバイスがPCからスマホに移り変わっていく」ということは頭ではわかっていたんだと思います。いわゆるサンクスコストバイアスみたいなお話ですね。そういう点からみても、現状を否定し大きく変革することは本当に難しい。それでもなお小まめに、自分のいる環境を置き、冷静に俯瞰して物事を見ることが必要な時代であると感じます。

そう考えると、世の中的には今後もますますデジタル化が進むと思っています。恐らく変化が最も小さいのは「今」であり今後は更なる大きな時代の変化とテクノロジーの進化の連続であると思いますが、そういった激流の中でも愚直に真摯に価値を提供する人間であり続けたいと思います。

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