日米SaaS業界徹底比較。日本のSaaS企業に足りないもの。オンラインイベント「M&Aの視点からみる日本のSaaSの未来」レポート【後編】
2022/6/28
2022年5月24日、M&A支援事業を営むM&A BASE株式会社主催のオンラインイベント「M&Aの視点からみる日本のSaaSの未来」が開催されました。
本イベントには、モルガン・スタンレーのシリコンバレーオフィスで米国SaaS企業のIPOやM&A案件に多くかかわってきたOne Capital株式会社 プリンシパル 盛島 正人氏とともに、株式会社デジタルホールディングス グループCIO(最高投資責任者)の石原 靖士氏が登壇。モデレーターのM&A BASE株式会社 代表取締役 廣川 航氏とともに、日米SaaS企業の最新トレンド、米国でのM&A事例とその戦略、さらには、今後のSaaS業界の行方について、熱いセッションが繰り広げられました。本記事では、前編に引き続き、米国のM&A事情および日本のSaaS企業に求められるものについて、対談の様子をレポートします。
米国のM&Aプロセスに学ぶ、日本SaaS企業の成功ストーリー
盛島:クラウドコミュニケーションプラットフォームを運営するTwilioが、SendGridというメール配信サービスを手がける企業を買収した際、僕はTwilioのバイサイドを担当していたので、そのときの事例を紹介します。
Twilioの買収の理由はシンプルです。同社は、「音声通話」「動画通話」「メッセージサービス」の三つを持っていたものの、ビジネスで最も重要なコミュニケーションツールである「Eメールサービス」を持っていない、というのが彼らの課題でした。彼らは自分たちに何が足りなくて、何を埋めたらさらに成長できるのかを常に考えています。そのためのリストもあって、実際SendGridの次には、Segmentという企業を買収しています。次の強化をマーケティングに決め、カスタマーデータプラットフォームを買ったんです。このとき、Twilioは同様の企業2~3社のM&Aを同時に検討していました。当時、Twilioの株価がものすごく上がっていて、1年前なら株式の20%を放出しなければいけなかったところ、今なら7%で2社買える、という状態だったからです。
このように買う側は常にリストをつくっています。また、ディールには基本的に社内の全チームが介入していました。TwilioのときもM&Aの流れを知る元バンカーで構成されたチームを中心に、プロダクトチーム、R&Dチーム、ファイナンスチーム、セキュリティーチーム、そして、PMIチーム(※1)と一緒にデューデリジェンス(※2)を行い、IRチームが投資家向けのストーリーをつくる、という形で進めていました。
それから、これはTwilioだけではないと思いますが、M&Aがうまくいっている企業は、エグゼクティブチームがしっかりコミットしています。トップはもちろん、エグゼクティブメンバーも自分の管掌部門のデューデリジェンスを主導していますし、その観点をもとに「この企業は買うべきだ、買うべきじゃない」「こういうリスクがある」といった話をして、最終意思決定をくだしています。
石原:いつも盛島さんの話を聞いていると、米国の大きさとスピードには、ただただ圧倒されます。米国は瞬間的にディールを決定できるように大きな権限委譲がされていたり、事業会社自体にM&Aのノウハウが溜まっていて共通言語化されていたり、あるいはM&A担当者が社内でそのキャリアを積むことのできる環境が整備されていますよね。かたや日本はそれが分断されているような気がします。社内にM&A担当がいて、キャリアコースも整備されているという話は聞いたことがないですからね。この辺りは日本も変わっていかなければいけないと思っています。
盛島:セルサイドを担当する際も、「この企業群に売りたい」というバイヤーリストを作成するのですが、日本の企業はほとんど載っていませんでした。海外だから、という理由もありますが、一番よく言われる理由は意思決定が遅いからというものでした。そんな中、唯一、よく載っていた日本企業がリクルートです。同社に対しては、案件に迅速に反応する印象があるからだと思います。日本も買収のための準備を日ごろから行い、話が来たその日に臨時取締役会を開けるような、スピード感が必要ではないでしょうか。裏返せば、M&Aはそのくらいの競争環境下にあるということではないでしょうか。
廣川:以前、M&Aはビッグ・テック(巨大テクノロジー企業)をまわってからPEファンド(※3)に話を持っていく、と伺ったことがあるのですが、実はPEファンドにも早いうちから打診しているんじゃないかな、とも思っています。そういうケースもあるのでしょうか?
盛島:いえ、明確にストラテジックバイヤー(※4)から回りますね。彼らのほうが財布が大きく、バリュエーションを絞られないのがその理由です。売り手側にとっては、レイオフ(一時解雇)が行われるかどうかも大きいと思います。PEファンドに買われたら確実に行われてしまうので。ストラテジックバイヤーは、そもそも買収金額も大きいですし、CEOが周りの経営陣や株主を含め説得しやすいと思います。
盛島:一つは、その企業がパブリックカンパニーになれるか否かです。たとえば、GitHubは管理体制などの内情を見ている限り、パブリックカンパニーにはなれなかったと思います。というのも、M&Aの前に創業者の一人が問題を起こして辞任したり、その後別の創業者が代表に就いたのですが、その人も元はエンジニアでビジネスに長けているわけでもなく、ファイナンス面もそんなに強いというわけでもなかったので、もしパブリックカンパニーになっていたら大変だったろうなと。ですから、Microsoftに買われて万々歳でしょうね。
もう一つは、売り手側が今後出し得るバリュー以上の金額を買い手が提示してくれるからでしょうか。レイオフもたしかにありますが、PEファンドと比較した際、ストラテジックバイヤーのほうがその企業をさらに大きく成長させられる手腕があるからだと思います。GitHubはMicrosoftから75億ドルでオールストックで買収されたんですが、その75億ドルが現在では200億ドル越えの価値になった、という話もありました。とはいえ、売り手がどのように納得するのかは、さまざまです。誰もがその時点で一番価値が高いと思う選択肢を選ぶわけで。特に未上場だと、IPOして成長させてキャピタルゲインを得る場合と、今すぐM&Aで売却する場合とでは、どちらが高いのだろうという視点で計ります。基本的には高い金額の付くM&Aを選ぶとは思いますけれど……。売り手側の「この金額だったら売るよね」というジャッジで決まると思います。
廣川:なるほど。そして、その金額を出せる企業があるからM&Aが活発なわけですね。ただ、今後増えると思っているのが、買収時のマルチプル(※5)を見たときに「これだけしか付かないの?」という売り手の反応です。買い手も資金を潤沢に用意できる状況にない場合、双方がどのように折り合いをつけていくのでしょうか。事業を営む側には、永遠に成長し続けられると思うところもあると思います。
盛島:いろいろな理由があると思うのですが、たとえば、CEOが交代するタイミングは、結構鍵になると思います。「この人が抜けた今なら株主たちを説得できるんじゃないか」や「CEOが70歳を機に引退するけれど、後継者がいない」というのも売る理由になると思います。もう本当に人間ドラマですね。
石原:なるほど。確かに、スナップショットでM&AとIPOのどちらがお得か?という売り手の判断は合理的で納得です。でも、売り手のなかには、目先の損得より、自分が作った事業が、どちらの方が成長點せやすいのか?を判断基準にする創業者もいると思います。このような、判断が行われるケースも米国ではあるのでしょうか?
盛島:オールストック、またはストック比率の高いM&Aをするとき、買い手側はそのような説明をしますよね。「僕たちの株を持って、僕たちの会社の一部になって一緒に成長していったら、あなたにもアップサイドがあるよ」と。ただ、人間なので、今使えるキャッシュが欲しいともなるんですよね……。ですので、ストックを取らず、キャッシュを選ぶケースが多いように思います。その結果、書い手側の株価が伸長し、大損している人もいますし、逆もあります。こればっかりは、プロも読めません。だから、ディールを成功させるためにいろいろな手法を考えるんですよね。
たとえば、Qualtricsの際は、モルガン・スタンレーがIPOの主幹事を務めたのですが、IPOが予定されていた数日前に、ドイツのSAPに買収されました。これはデュアルトラック(IPOとM&A両方を同時に検討するプロセス)のM&A側を別の投資銀行がやっていたパターンで、M&Aを担当していたカタリストパートナーズの創業者が、ゴルフの席でSAPの社長にM&Aを持ちかけたことがきっかけになりました。80億ドルで買収されたのですが、IPO時の時価総額は、たしか50~60億ドルだったので、それよりも高く買うと言われたら「うん」って言うなって思うんですよね。ただQualtricsは、その数年後の2021年にSAPからスピンオフしてIPOするのですが、そのときには企業価値が200億ドル以上になっていました。すると、Qualtricsの株式の80%程度を持っていたSAPはめちゃくちゃ大儲けなわけで、Qualtricsの社長は大損なわけです。つまり、当事者でさえ読み違えをするのですから、こういう事象は多分にあると思います。
※1 PMI(Post Merger Integration): M&A後の統合プロセスを担う部門のこと。
※2 デューデリジェンス:投資対象とする企業の価値やリスクなどを調査すること。
※3 PEファンド(プライベートエクイティーファンド):潜在的な成長力を活かしきれていない企業に投資し、企業価値を高めてからIPOや他社への売却などを通じて、ファイナンシャルリターン獲得を目指すために組成されたファンドのこと。
※4 ストラテジックバイヤー:自社の事業強化・事業拡大を目的にM&Aを行う買い手のこと。
※5 マルチプル:企業価値が割高か割安かを判断する指標。
「IPOもM&Aも増えてほしい」。日本に求められるのは、“勇気あるバイヤー”
石原:正解はありませんが、例え投資家(或いは事業会社の投資部門)であっても、どれだけ事業の解像度を高められるのかに僕は興味があるので、起業家とは「M&Aの話」というよりも「事業の話」のスタンスで話がしたいです。そのなかでファイナンスの会話もサラッとできて、最後に握手を交わせるような世界観をつくれると、日本もバーティカルSaaSを中心に成長のスピード感が変わってくると思っています!
盛島:IPOもM&Aも増えていってほしいですね。米国では、時価総額10億ドルから100億ドルの企業がリストにズラッと並んでいるとお話ししましたが、そのなかにはIPOしてもパブリックカンパニーとしてやっていけない企業がたくさんあったように思います。そういうところをストラテジックバイヤーやPEファンドがM&Aによって成長させています。日本でM&Aと聞くと、身売りとか悪いイメージがありますが、よいことだと思うんですよね。それから上場企業のM&Aが続くと、市場で投資できる企業が減っていくことになりますが、IPOしたら逆に増えるわけですよね。この振り子のような市場心理には面白さがあります。ただ、そうなるためには、一つひとつの波が大きくならなければいけません。IPOしかエグジット方法がないとなると、起業家も投資家もお金を入れにくいので、やはり両方増える必要があると思います。
前置きが長くなりましたが、これから業界が伸びていくために必要なことは、“勇気あるバイヤー”の存在です。アメリカはM&Aがすごいといわれていますが、失敗しているM&Aもたくさんあります。けれども、M&Aはなくなりません。経営者のキャピタルアロケーション(資金配分)は、「事業投資」「M&A」「自社株買い」の三つぐらいです。自社株買いし続けるわけにいかないなら、事業に投資すればよいとも思うのですが、M&Aが選択肢にまったくないのもおかしな話です。ですから、“勇気あるバイヤー”になって、まずはやってみるのもよいのではないでしょうか。
盛島 正人
One Capital株式会社 プリンシパル
One Capitalに2021年6月参画。One Capital参画前は、日本General Electric、およびGeneral Electric米国本社を経て、2018年よりMorgan Stanley Menlo Park Officeにてテクノロジー企業のIPOやM&Aに従事。Morgan Stanleyでは、ProofpointのThoma Bravoへの売却 ($11.3Bn)、TwilioのSegment買収 ($3.2Bn)、OSIsoftのAveva Softwareへの売却 ($5.0Bn)、ZoomInfo IPO ($1.1Bn)、Cloudflare IPO ($0.6Bn)、Cypress SemiconductorのInfineon Technologiesへの売却 ($10.0Bn)、CylanceのBlackberryへの売却 ($1.4Bn)、など数多くの案件に関与。2021年6月にOne Capitalへ参画。上智大学比較文化学部(現 国際教養学部)卒、ダートマス大学経営大学院MBA修了(High Distinction)。
廣川 航
M&A BASE株式会社 代表取締役
2019年慶應義塾大学商学部卒業。大学在学中からスタートアップやベンチャーキャピタル、ヘッジファンド、監査法人子会社のコンサルでリサーチ業務などに従事。2018年7月にXTechに入社。2019年2月にXTechの子会社としてM&A BASEを設立し、取締役に就任。2021年代表取締役に就任(現任)。
ツイッター:https://twitter.com/hirokawa_style
石原 靖士
株式会社デジタルホールディングス グループCIO(最高投資責任者)
2003年、ソフトバンクIDC(現IDCフロンティア)にNWエンジニアとして新卒入社。
その後、2006年にオプト(現デジタルホールディングス)に入社。2020年7月よりオプトの上席執行役員としてDX事業領域を管掌後、グループ会社であるオプトデジタル(現リテイギ)の代表取締役社長へ就任。2019年4月にデジタルホールディングスのグループ執行役員に就任し、テック&ソリューション担当として、グループ全体のプロダクト系の事業推進を担う。2022年4月、デジタルホールディングスの成長投資を加速させるためグループCIO(最高投資責任者)へ就任。