香りを言語化するAI。KAORIUMが切り拓くビジネスチャンス

イメージする香りはあるけれど、その通りの香水をなかなか見つけられない。「甘口」「辛口」だけでは、自分好みの日本酒を選べない。セントマティック社が開発する「KAORIUM(カオリウム)」は、香りや風味を言語化することで、そんな悩みを解消してくれる最先端のAIシステムです。今回お話を伺ったのは、同社の代表取締役である栗栖俊治氏。なぜ香りの分野に注目したのか。ビジネスとしての香り市場の秘めたるポテンシャルとは。KAORIUMの活用で広がる可能性とは何か。世界も注目するその取り組みに迫ります。

ざっくりまとめ

- 世界の「香り市場」は2025年に6兆円規模に。砂漠市場だった日本にも、近年ようやく成長の兆しが。

- 不便を解消するのではなく、プラスアルファの豊かさを。開発の根底にあるのは、そんな想い。

- 最先端のAIで香りと言葉を相互に変換。言葉を組み合わせることで、新たな香り体験を。言葉を組み合わせる今までにない香り体験によって、新たな顧客体験を創出。

- 小売、製造、マーケティング、スポーツ、エンタメ、教育。あらゆるジャンルで「香り」は活用できる

2025年には6兆円規模に。 成長を続ける「香り市場」

——AIを活用した「香りの言語化」など、香りにまつわる先端的な取り組みを実践する御社ですが、まずは「香り市場」の現状を教えていただけますか?

グローバルでの「香り市場」は、順調な成長を続けています。2020年には約5兆円だった市場規模は、2025年までに6兆円に達する見込みです。この流れは日本も同様で、2011年には約2,654億円ほどだった国内市場は、2018年には約3,564億円まで成長しました。とはいえ世界に比べると、日本の市場規模はあまりにも小さく感じられるかもしれません。これには歴史的な理由があります。

現代に通じる「フレグランス」が生まれたのは19世紀。化学の進歩に伴って、合成香料が製造できるようになったのです。おりしもフランスではアール・ヌーヴォーと呼ばれる芸術運動が華やかになりし頃。アーティストやパトロンたちは、調香師たちが生み出す新たなフレグランスを、文字通りアート作品のように消費していきました。これによってフランスを中心に、フレグランスの文化が大きく花開いたのです。やがてそれは文明開化を遂げたばかりの日本にも持ち込まれます。ところがヨーロッパでは文化的なバックグラウンドを含めて消費されていたフレグランスが、日本にはその文脈抜きで単なる商品として持ち込まれてしまった。その結果、ほとんどの消費者はこの新たな文化を受け入れることができませんでした。日本の消費者が香りをポジティブに受け止められるようになるまでは、そこからなんと一世紀近くの時を要します。

ゲームチェンジが起きたのは2008年。ひとつめのターニングポイントは、ダウニーの大ヒットです。比較的香りに抵抗のない若い消費者が、この甘い香りの柔軟剤に飛びつきました。この年にはもうひとつ、香りをテーマにした大ヒット商品が生まれます。無印良品のアロマディフューザーです。このふたつのヒット商品によって潮目はガラリと変わりました。消費者が香りを「好ましいもの」と捉えるようになり、日本でも「香り市場」が急速に伸び始めるのです。そこから10年以上が経過し、近年ではソニーやパナソニックといった大企業も「香り市場」への参入に意欲をみせています。

香りの素人たちが辿り着いた「香りの言語化」というコンセプト

——そうしたなか、なぜ御社は香りをテーマにビジネスをはじめたのでしょうか?

セントマティックを起業する以前、私は約13年間に渡ってNTTドコモで新サービスの開発に携わってきました。さまざまなサービスを手がけましたが、あるときそのサービスのすべてが「利便性」にフォーカスしたものであることに気がつきます。そうした仕事ももちろん重要ですが、私たちの人生を豊かにしてくれるのは、「マイナスをゼロ」にすることではなく、「ゼロをプラス」にするサービスではないかと、もどかしさを感じたことも事実です。

何か自分にできることはないだろうか。そう模索するなかで、まず私が行ったのは、身の回りのゼロをプラスにするものを探してみることでした。そこでハッと思い当たったのが「香り」です。香りこそまさに「なくてもいいけど、あるといい」というものですよね。その頃、ちょうど私はスタートアップ発掘のためにシリコンバレーで働いていたので、「AI×香り」というアイデアがすぐに思いつきました。2018年に日本へ帰国すると、早速セントマティックを立ち上げ、ビジネス化に向けた取り組みをスタートします。

——具体的にはどのようなプロセスでビジネス化を進めていったのですか?

プロジェクトを立ち上げた当初、集まった仲間は僕を含めて香りの素人ばかり。そこでまずは自分たち自身がユニークな「香り体験」を味わおうと考えました。特に印象的なのは、石垣島の嗅覚アーティスト・MAKI UEDA氏を訪れたときのこと。200種類以上の香料を組み合わせてオリジナルのフレグランスをつくる刺激的な体験ができましたが、比喩ではなく本当に鼻が痛くなって大変でした(笑)。ほかにもさまざまな香り体験を味わい、ディスカッションを繰り返すなかで生まれたのが「匂いを言語化する」というコンセプトです。調香師さんたちへのインタビューもヒントになりました。彼らは独特の語彙を使って、匂いに対する共通理解を築いているんです。例えば「この匂いは、パウダリーだね」といった具合です。これだけだと、普通の人には何を言っているのかわからない。では逆に一般の消費者でも理解できるような言葉で、匂いを表現できたらどうだろう。AI技術を生かせばそれができるのではないか。そんなアイデアを形にしたのがAI型システム「KAORIUM(カオリウム)」です。

KAORIUMによる、「言葉」と「香り」の融合体験で導かれる新しい変化

——御社の開発した「KAORIUM」について詳しく教えてください。

KAORIUMは、香りの印象とそれにまつわる膨大な言語表現を学習した人工知能を活用することで、「香り」と「言葉」の相互変換を可能にしたAI型システムです。例えばKAORIUMのコンセプトモデルでは、ユーザーが選んだフレグランスボトルをセンサー上に置くと、その香りから連想する「華やか」「透明感」「フルーティー」といった無数の言葉がタッチパネル上に表示されます。そのなかから、ユーザーのイメージに最も近い言葉を選択すると、今度はその言葉に紐付いた他の香りがレコメンドされる。このプロセスを何度か繰り返すことで、ユーザーの匂い香り選びの「軸」となる言葉を導きだせるほか、「雲間を割る夏の日差し」といった情景的な言葉でその人の求める香りを言語化することができます。

ここで面白いのは、言葉によって香りの印象が変わることです。例えば「やわらかな」という言葉にフォーカスしてフレグランスを嗅いでみると、これまで感じられなかった「やわらかさ」を香りのなかに見出すことができる。音楽に歌という言葉がつくことで、感じ方が変化することをイメージするとわかりやすいでしょうか。言葉には、五感による体験を変容させる力があるのです。こうしたKAORIUMによる体験を、私たちは「言葉と香りの融合体験」と呼んでいます。これは今までにない顧客体験をもたらします。​

買上率287%に向上。KAORIUMのビジネスポテンシャルとは?

——KAORIUMはビジネスシーンでどのように活用できるのでしょうか?

KAORIUMのコンセプトモデルは、ニッチフレグランスのセレクトショップ「NOSE SHOP」(新宿店・銀座店)で、「好きな香り選び」のサポートツールとして、実験的にご導入いただきました。ご利用いただいたお客様からも大変好評で、導入期間中は通常時に比べて買上率が287%に向上するという結果を残しています。

KAORIUMのAIを活用して、日本酒の風味を言語化する「KAORIUM for Sake」の実用化も進んでいます。こちらは日本酒の試飲会や飲食店などで導入が始まっており、やはり購買行動にポジティブな影響を与えることがわかってきました。導入された飲食店の方からは「日本酒と酒肴のペアリングにも活用できるのでは」という声もいただいています。日本酒に限らず、風味を楽しむ飲食物であれば比較的簡単に応用が利くため、今後はチョコレートやコーヒー、お茶などへの展開も視野に入れています。

スポーツ領域とのコラボレーションもスタートしました。第一弾としてプロジェクトにご協力いただいたのが、フェンシングエペ日本代表の見延 和靖選手です。試合で高い集中力を発揮するために見延選手が求めていたのは、心身をリラックスさせる香り。KAORIUMを活用して見延選手の好みを解析して、オリジナルの香りを開発していきました。最終的に生まれたのは「雅やか」をキーワードにしたアロマフレグランス。見延選手からは「ここまで自分の理想の香りが出来上がるとは想像していませんでした」「今度は集中のための香りもつくってほしい」という嬉しいコメントもいただいています。

香りを生かした教育事業にも取り組んでいます。これまで実践してきたのは、KAORIUMを使って子どもたちが香りの印象を言語化するのをサポートし、それぞれの表現の違いを楽しむ授業です。香りの印象というのは、個人が生まれ持った受容体と、その人が生まれ育った文化や環境に、大きく左右されます。したがって同じ香りを「いい匂い」と感じる人もいれば、「くさい」と感じる人もいる。生まれと育ちによる感覚の違いを認め合い、それを楽しむこと。それはそのまま、多様性を受け入れるための第一歩でもあるはずです。香りの力は、ダイバーシティー&インクルージョンを推し進めるためにも役に立つはずだと感じています。

エンタメ、空間デザイン、商品開発——。嗅覚のビジネス活用は始まったばかり。

——KAORIUMは非常に多岐にわたった領域で活用できるのですね。

はい、それほど香りには可能性があります。ある意味で、聴覚や視覚に訴えかける方法は、限界に達しつつあります。8Kを超える高解像度の映像や、ハイレゾの音が従来と比べてどれだけ大きな進化なのか、普通の人にはもはやわからない。けれど嗅覚のビジネスへの活用は、まだまだ始まったばかりです。だからこそ今後も、さまざまな領域で、より多くのステークホルダーとの共創に取り組んでいきたいですね。アートやエンタメ領域とのコラボレーションも考えられますし、空間デザインにも応用できるでしょう。もっとシンプルにKAORIUMのデータを、商品開発やマーケティングに活用することも考えられます。

KAORIUMの海外展開も進めていきたいですね。これまで説明してきた通り、香りの印象は文化や言語によって大きく変化しますので、AIのアップデートは一筋縄ではいきません。しかし、プロトタイプと呼べるものはすでに完成しています。あとはコロナ禍が落ち着き次第、現地でどんどんモニターテストを実施し、精度を高めていきたいですね。

そうやって可能性を広げていく一方で、まずはより多くの人にKAORIUMを使っていただきたい。それによって、自分が好きなフレグランスやお酒に出会える人が、一人でも増えたら嬉しいですね。そういう些細な喜びが、人生の豊かさだと思うんです。香りをきっかけに、自分の好きなものを見つけ、それを自分らしく楽しめる。そんな暮らしが広がっていけばいいなと思っています。
栗栖 俊治
SCENTMATIC株式会社 代表取締役

NTTドコモにて10年間、携帯電話やスマートフォン向け新サービスの企画開発に従事し、しゃべってコンシェル、GPS機能等のプロジェクトリーダーを担当。「しゃべってコンシェル」ではグッドデザイン賞ベスト100・未来づくりデザイン賞を受賞した。
2015年より3年間、NTTドコモ・ベンチャーズ シリコンバレー支店へ出向。数々のシリコンバレースタートアップを発掘し、NTTドコモ本社事業部門とスタートアップとの協業や出資を実現した。2018年、日本へ帰国し本事業構想に着手、2019年11月にSCENTMATIC株式会社を設立。

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