世界で導入への動きが加速しているMaaSですが、2016年にその第一歩を踏み出したのは、北欧のフィンランドでした。なぜフィンランドはMaaSの実証実験をはじめたのでしょうか? また、MaaSを実現するためには、さまざまな障壁を取り払う必要があります。それらをどうやって克服し、推し進めることができたのでしょうか?
同国で開発された先進的なMaaSアプリとして知られるWhimは、その後ベルギーのアントワープ、イギリスのバーミンガム、オランダのアムステルダム、そしてシンガポールなどでも、現地企業と提携する形で実証実験が進められています。フィンランドがMaaSを導入した背景とともに、MaaSアプリWhimの特徴を紹介します。
そもそもMaaSとは?
MaaSはMobility as a Service(モビリティ・アズ・ア・サービス)の頭文字を取った略語で、「サービスとしての移動」と訳されています。従来は自家用車以外の手段を使って、どこかに移動する場合、どんなルートで、どの交通手段を使って目的地まで辿り着くかは、時刻表や地図を見て、自ら探すか、アプリを使ってルートを案内してもらうといった方法が一般的でした。ルートが決まれば、各交通機関のウェブサイトやアプリを使ってチケットの予約・決済をしたり、乗車前に窓口や券売機で、その都度、チケットを購入していました。
インターネットの登場以降は、ECサイトや乗り換え案内アプリが開発され、昔より便利にはなってきましたが、それでもさまざまな作業や手続きが必要で、効率が良いとは言えなかったでしょう。そこで登場したのが、MaaSという概念です。MaaSは移動することをサービスの一環だと捉え、徹底的に効率化を目指します。アプリを使うことで、鉄道や地下鉄、バス、タクシーに加え、シェアサイクル、レンタカーなどあらゆる移動手段や時刻表を考慮して、もっとも効率的な移動ルートを考案してくれます。さらに、検索結果からそのままチケット予約や決済もシームレスで利用者に提供してくれるのが、MaaSの良さです。最終的には都市計画に組み込むことで、交通網の再構築や新しい移動手段の開発も行い、都市部で発生している交通渋滞の緩和、自動車の削減や電気自動車の導入による排気ガスの低減、衰退する地方交通の再興など、現代社会が抱える諸問題まで解決しようとする考え方です。
MaaSを導入するメリット
MaaSを導入すると、どんなメリットがあるのでしょうか? 各国が導入に向けた議論を熱心に進める理由を解説します。
交通渋滞が緩和する
MaaSでは鉄道や地下鉄の時刻表、運行状況やリアルタイムの混雑情報、さらにバスやタクシーの現在地情報など、あらゆる交通データを取得し、それらをAIが予測・分析することで、移動の最適化を目指すものです。その結果、公共交通を使った移動のほうが利便性が高くなり、自家用車の利用が減ると考えられています。また、遅延の少ない最適なルートをすべての車が通るため、交通渋滞も緩和されます。自動運転の車も活用することで、交通事故も大幅に減少します。交通事故は渋滞原因のひとつとなっているため、効率的な移動につながるわけです。
環境汚染が軽減できる
地球温暖化による、さまざまな弊害が指摘されています。海面の上昇にはじまり、生態系の変化による食糧危機も深刻度を増しています。とくに排気ガスの削減は急務ですが、排気ガスが増える原因のひとつとして、交通渋滞が挙げられています。MaaSではICT(情報通信技術)によって、あらゆる乗り物を効率的に稼働させることができるため、渋滞が減り、さらに車の台数自体も減ると考えられています。電気自動車やハイブリッドカーも導入されるため、MaaSは環境汚染対策にもつながると期待されています。
効率的な移動が可能になる
現在も、複数の移動手段を横断的に検索し、目的地までの最適なルートを案内してくれるアプリが利用できますが、あくまで現状の交通網のなかで検索に限られ、またシェアサイクルやタクシーなど、考慮されない移動手段もあります。エリアによっては交通機関を使った直線的なルートがなく、大きく迂回しなければたどり着けないこともあるでしょう。
その点、MaaSでは自動車やバス、鉄道、飛行機、タクシー、シェアサイクル、レンタカーなどのあらゆる交通手段がターゲットになり、最短で移動するためのルートを提示してくれます。さらにパーソナルビークル、ドローン型輸送機といった新たな移動体や、ライドシェアなどの新しい移動サービスも、将来的には考慮されます。予約や決済も容易になり、移動サービスが一元化されることで、いっそう利便性が高まります。
交通事業の効果的な運営が実現する
MaaSは移動の最適化に関する概念ですが、リアルタイムの混雑状況や、車両の位置情報など、乗客や公共交通に関する膨大なデータを取得していきます。それらを最先端の情報通信技術やAIなどを使って、分析・予測することで、交通機関にとっても無駄のない経営を行うことができます。ユーザーが利用状況も細かく把握でき、人出や時間帯など状況にあわせた柔軟な事業運営が可能になります。
地域産業の活性化する
MaaSが導入され、移動に関するさまざまなデータが集まれば、混雑予測や最適な移動経路の提案に関する精度が高まるのはもちろんですが、いつ、どこに、どんな状況で人々が移動するのか、行動そのものを分析することが可能になります。そのため、行動履歴に合わせたショッピング情報の提供や、住まいに関する提案、あるいは保険の案内など、さまざまな分野で消費者にとって利便性の高い情報を提供することができるようになります。観光スポットとルート検索を連動させ、さらにクーポンを発行し、利用者に訴求することも容易になり、人々の移動と地域産業をむすびつけた、地域産業の活性化も期待できます。
MaaSがフィンランドで導入された背景
MaaSの概念は古くから提唱されていましたが、実際に都市で実証実験を開始したのはフィンランドのヘルシンキがはじめてでした。どうしてフィンランドは世界に先駆け、MaaSに挑戦することになったのでしょうか? フィンランドの挑戦を学ぶことで、日本が目指すべきMaaSの方向性が見えてきます。
そもそもフィンランドとはどんな国?
フィンランドは北ヨーロッパに位置する共和制の国家で、西をスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと接しています。国土は約38万平方キロメートルの日本よりも少し狭い、約34万平方キロメートル。人口は550万人と日本よりはるかに少ないのですが、一人当たりのGDPは約5万ドル(2019年、世界16位)と、日本の約4万ドル(2019年、24位)を超える生産性を誇っています。
国土の7割を占める森林の資源を生かした製紙・パルプ・木材が伝統的な産業でしたが、90年代に入ると、IT企業が勃興します。また、携帯電話通信機器の Nokia がフィンランドの経済を牽引したことでも知られています。近年は、世界的なスタートアップ企業も輩出しており、ヨーロッパのシリコンバレーと呼ばれることもあります。
自動車への依存が深刻化している
首都のヘルシンキでは、電車や地下鉄、路面電車、バス、タクシーのほか、フェリーや電動スクーターなど、さまざまな交通手段が利用できますが、地方での移動手段は自動車が主流で、移動の8割を占めるという調査結果がありました。とくに1960 年代以降に自動車の台数が増加し、2015 年には自動車の保有台数が300 万台に到達しています。そのためヘルシンキを中心に交通渋滞が発生することもあり、CO2の増加も課題となっていました。
乗り継ぎや最寄駅までのアクセスが悪い
首都のヘルシンキでは、多くの交通手段が利用できますが、乗り継ぎや最寄駅までのアクセスが良いとは言えず、それが自動車依存を高める原因だと指摘されることもあります。また、冬は厳しい寒さに見舞われるため、自動車での移動を選択する市民が多いという面もあります。
高齢化の進行も問題視されている
フィンランドにおける1990 年代の60 歳以上の人口比率は約20%でしたが、年々増加し、2017年は22%、2019年は28%となっています。高齢者のドライバーは事故の危険も高くなり、どのように高齢者の移動を確保していくのか、急務な課題となっています。
フィンランドのMaaS実現への取り組み
フィンランドはMaaSを都市計画の指標のひとつと捉えることで、実現に向けて、さまざまな改革を行ってきました。世界が注目するMaaSの成功事例になるまでの取り組みをいくつかご紹介します。
MaaS導入のための法整備がスムーズ
MaaSを導入するため、2018年にフィンランドは交通法を改正しています。従来は人の輸送や貨物の輸送、鉄道の運行、さらに道路交通と、それぞれが別の法律でルールを規定し、運用されていましたが、この改正によりひとつの枠組みにまとめられました。さらに改正を機に、運行や時刻表など、交通に関するデータを扱うプラットフォームを作ることが明文化されました。データもマシンで読み取れるよう規定されたといいます。これらは、MaaSで鉄道やバス、タクシーなど、あらゆる交通機関の運行情報を横断的に検索して、効率化しやすくするためです。データの公開を義務づけるとともに、形式や扱いを統一することで予約決済の事業者間連携も容易になったわけです。ルート検索から予約決済までをアプリで一括して提供するMaaSではこうした法律の整備が欠かせません。
民間ビジネスとしてMaaSを展開している
MaaSをスムーズに導入するため、フィンランドでは産官学のコンソーシアムである「ITSフィンランド」が立ち上がり、運輸通信省もこれを支援しています。民間団体が主導しつつ、政府がサポートすることで、オープンデータの共有やプラットフォームの開発が整備されています。規制緩和が必要となるMaaSではこうした国や自治体の協力も欠かせません。またアプリ開発でもMaaS Global社という民間のスタートアップ企業が手がけることでスピーディな意思決定が行われています。
フィンランド発のMaaSアプリ「Whim」とは?
フィンランドでは、MaaS Global社という2016年6月に創業したスタートアップ企業が中心となってMaaSアプリの開発が行われてきました。首都ヘルシンキでは、このWhimの導入によって、移動に占める公共交通の割合が48%から74%に大きく伸びたと言われています(反対に自家用車の利用は20%近く減少)。こうした実績からWhimはその後、ベルギーのアントワープ、イギリスのバーミンガム、オランダのアムステルダム、そしてシンガポールなどでも現地企業と連携した実証実験が進められていますが、日本のMaaSアプリとの違いはどんな点にあるのでしょうか? 主な特徴をご紹介します。
世界初のMaaSアプリ
Whim(ウィム)はフィンランドの首都ヘルシンキでスタートしたモビリティのプラットフォームサービスアプリですが、MaaS Global社が開発を担当し、2016年にヘルシンキの交通当局と実証実験を行ったのち、正式にサービスが開始されました。アプリ内でルート検索からチケット予約・決済までが一括で利用できる世界初のMaaSアプリです。
アプリ1つで目的地まで移動できる
Whimのサービス地域では、鉄道やバス、タクシー、あるいはカーシェアリングやライドシェア、レンタサイクルなど、あらゆる移動サービスが一元管理され、目的地を設定すると最適な移動手段や経路を提案してくれます。アプリを見せるだけで交通機関を利用できるため、乗り継ぎもスムーズに行うことができます。
利用頻度が高い人ほど費用を抑えて移動できる
Whimでは3つの料金プランを設けているのが、大きな特徴です。ひとつは「Whim To Go(ウィムトゥーゴー)」というプランで、こちらは月額無料で利用できますが、公共交通期間やタクシーなどに乗車する際には、その都度、運賃を支払う必要があります。移動する頻度が少ない人向けの料金プランです。
二つ目は「「Whim urban(ウィムアーバン)」というプランで、月額利用料を支払うタイプで、公共交通機関は追加料金なし(無料)で利用が可能となっています。またタクシーを利用する場合には、ヘルシンキでは5キロまで10ユーロ、レンタカーなら1日49ユーロで借りることができるそうです。
さらに上位プランとして「Whim Unlimited(ウィムアンリミテッド)」というプランがあり、こちらは基本的にすべての乗り物が追加料金なしで利用可能となっています。いわゆる月額利用料を払えば、サービスが利用し放題になる、サブスクリプションサービスのような形態を取っています。利用頻度が高いほどお得になる仕組みになっているため、ユーザーはより多く公共交通機関を利用しようとする心理が働きます。したがって、自家用車での移動が減り、渋滞や排気ガスの問題を解消することにもつながるわけです。
利用方法が簡単なのが特徴
Whimを利用するのはアプリの操作に慣れた若者だけではありません。高齢者も多く利用するため、できるだけシンプルな操作法が考案されています。ルート検索ではアプリで出発地から目的地までを検索し、提案された移動手段から好きなものを選ぶだけとなっています。移動方法は選択でき、駅までシェアサイクルで移動し、駅からは地下鉄に乗るといった従来からある鉄道やバスでの移動以外の手段も検索に反映されます。また、天気の悪い日にはタクシーを選択するといった柔軟な使い方をすることもできます。
公共交通機関の利用率が上昇した
ヘルシンキではWhimの導入事前には市民の足として利用されていた交通手段は公共交通が48%、自家用車が40%、自転車が9%だったそうですが、2016年からはじまったWhimのサービス提供以降は、公共交通が74%と大きく数字を伸ばしたのに対し、自家用車の利用は20%近く減少したという結果が出ています。簡単に複数の移動手段を使ったルートが検索できる点や、定額制の料金プランがあり、交通機関を利用する頻度が高いほど、お得になるという制度設計により、公共交通機関の利用率が上昇したと考えられます。
日本でのサービス提供が決まっている
Whimは三井不動産とタッグを組み、日本でサービスを開始することを発表しています。まずは千葉県柏市の「柏の葉」エリアで実証実験が予定されており、カーシェアリングやタクシー、バスといった交通機関と連携し、ルート検索から車両の手配、そして支払いがアプリ内で可能となるだけではなく、エリアにある物件の紹介や街のイベント案内、観光スポット案内も提供されるようです。実証実験のため、当初は利用できる交通機関や施設が限られますが、フィンランドで採用されている月額定額制(サブスクリプション)の導入も視野に入れていると言われています。現時点で、日本ではこうした定額制のMaaSアプリは存在せず、ユーザーにメリットが浸透すれば、爆発的に普及する可能性も秘めています。
日本でMaaSを普及させる際の課題とは?
まだ実証実験がはじまったばかりの日本版MaaSですが、今後、計画を進歩させていくためには、どんなハードルを超える必要があるのでしょうか? 日本がMaaSの導入に際して抱えている問題点を整理していきます。
各交通事業者のデータ連携
時刻表や運行情報、リアルタイムの運行状況など、営業を通じて得られるさまざまなデータをオープン化し、事業者同士が連携することがMaaSには欠かせません。現状ではデータの形式、情報の取り扱い方など、それぞれが独自に進化させてきたデータのため、業種や立場の垣根を越えて、フォーマットを統一することが求められます。MaaSにとって必要なデータはどんなものなのか? どんな形式が扱いやすいのか? 交通事業者だけではなく、IT企業や自治体など、関係団体が一同に介してアイディアを共有し合うことが大切ですが、こうした取り組みはまだはじまったばかりです。
柔軟な料金設定
日本では公共交通機関の運賃を自由に事業者が決めることができません。運賃や料金の設定と変更には、国土交通大臣の認可と届出が必要とされるからです。そのためサービスと料金とのバランスを確認するために任意の料金を設定して実証実験を行う場合でも、特区を設けたり、特別な許可を行政と調整して獲得するなど、高いハードルがあるのが実情です。よりお得感がユーザーに広がるような柔軟な料金設定が求められます。
周辺地域との連携やインフラ整備
フィンランドでは都市計画の一環としてMaaSを捉えることで、従来の交通機関をただつなげるだけのアプリにとどまらず、インフラを整備するきっかけとして機能しました。日本でも過疎地域の交通を改善する一案として期待が高まるなど、まちづくりのアイディアとして受け取られています。ライドシェアやシェアサイクルなど、新たな移動手段の開発や活用など、それぞれの地域が抱える課題に応じたサービスを考える必要があります。
フィンランドのMaaS事例を参考に今後の移動サービスを考えよう
先行するフィンランドのMaaS事例を参考にしながら、導入に必要なポイントやメリットを整理してきました。日本での本格的な導入には障壁も多く残されているのが現状ですが、環境汚染問題、渋滞解消、交通難地域の改善など、MaaSへの期待は大きくなる一方です。今後、日本でどのようなMaaSが必要とされるのか、推移を見守っていきましょう。