旅行業界のデジタルシフト、顧客視点に立ったコネクテッド・トリップの発想で優れた顧客体験の実現された世界を目指す
2020/1/16
LINE株式会社と業務提携し「LINEトラベルjp」を運営する株式会社ベンチャーリパブリック。ここに、IBMで人工知能やブロックチェーン事業に関わってきた樋口正也氏が、CDO(Chief Digital Officer 最高デジタル責任者)として着任した。樋口氏の見ている旅行業界の今と、今後の可能性とは?株式会社オプト エグゼクティブスペシャリスト伴大二郎氏がお話を伺った。
Contents
「LINEトラベルjp」がブルーオーシャンで勝負できる理由
樋口:自らが興味を持てる業界に深く入り、事業会社の視点で経営に関わりたかったのが一番の理由です。IBMにいた頃からAIを始めとした様々なテクノロジーを活用したプロジェクトには携わっていましたが、あくまで提供する側でしたので、これまでとは全く逆の視点で、活用する側になりたかったという観点です。
伴:その場として、旅行業界を選んだのはなぜですか?
樋口:旅行業界が国としてもインバウンド6000万人を目指す期待の成長産業であることに加えて、個人的に旅行が好きであることもありますね。日本の人口が減少していくなかで、訪日外国人観光客に向けたインバウンドビジネス含めて極めて伸びしろがある業界だと思っています。
加えて、日本の旅行業界がすでにレッドオーシャンとも言われる中で、LINEトラベルjpはブルーオーシャンで勝負できる素地があります。旅行業界で大きくなっている企業の例としては、OTA(Online Travel Agent )と呼ばれる「ブッキングドットコム」や「エクスペディア」などの他に、複数の旅行予約サイトと連携して最適な価格、検索結果を表示する「トリバゴ」や「スカイスキャナー」などのメタサーチがあります。しかしLINEトラベルjpは、LINEという経済圏とメディアを持っている強みがあります。
まず、LINE IDがあることで、GoogleやYahoo!などの検索エンジンを通さず、ユーザーに直接アプローチできるようになります。一般的な旅行サイトの場合は、Googleなどのプラットフォームの上で、SEOに帰属したプル型のアプローチしかできません。しかしLINEトラベルjpは、LINEとの連携という強みを生かし、ユーザーに最適化した情報をプッシュ型で届けるといったダイレクトなコミュニケーションが可能です。
LINEの月間利用ユーザーが、日本での約8200万人に加えて、訪日観光客を多数抱える台湾、タイ、インドネシアなどのアジア諸国でさらに約8200万人、世界で見れば2億人規模のユーザーがいることがポイントです。LINEポイントの還元という経済圏のメリットを最大限に生かしてその規模のユーザー相手にダイレクトにマーケティングできるのは、日本の旅行企業の中でも我々だけです。
6万個のタグで個人に最適なレコメンドを実現
樋口:ある程度デジタルを活用してはいるものの、自社の価値を生かしきれていないという状況ですね。例として、LINEトラベルjpはPVの多い旅行メディアを持っていて、ビッグデータの観点やLINEとのシナジーもありますが、それを活用できていない状況です。様々な旅行情報が掲載されたメディアは、カスタマージャーニーの入り口になります。そしてLINEトラベルjpはここを押さえている。しっかりとしたデータ分析することで、ユーザーに最適なレコメンドが可能になります。
伴:具体的にはどのようなイメージですか?
樋口:LINEトラベルjpのメディアは、多い月で月間約8,000万PVありました。ユニークユーザーでいうと、1,600万。一人のユーザーが平均4,5記事みているという計算です。これは宝の山なんですよ。きちんとデータを分析すれば、「このユーザーは京都の紅葉の特集や、温泉の記事を見ているな」とユーザー一人ひとりの足跡とモーメントがわかりますからね。1,600万ものユーザーの足跡を把握できるんです。
まずは、それらを分析できる体制を整えました。さらに、記事のタグを活用して、自動的にユーザーに適した行き先やホテルのレコメンドを送ります。例えばスノボのタグが付いている記事を読んでいる人は、おそらく雪に関する記事が刺さるでしょう。タグを有効活用することで、その人の興味関心に合わせて、パーソナライズした提案ができるようになります。
記事にはもともとタグは付いていたんですが、その価値を生かしきれていなかったんですね。皆さんもよく使われるECサイトでショッピングをすると、どんどん関連商品がレコメンドされてくる、あれと一緒ですよ。動画サイトでも同じですね。商品が違うだけで、テクノロジーの世界では発想は一緒なんです。
伴:タグ付けをしても、うまくいかない場合もありませんか?例えばスポーツ用品を扱う小売店のネットショップで「アウトドアウェア」を調べた人がいたとします。しかし、アウトドアウェアはスノースポーツにも使うし、トレッキングにも使うし、普段着にも使う。小売店にとっては、お客様が何の用途で使うかわからないので、結局上手なレコメンドができないという場合も多いと思うのですが。
樋口:我々は記事に複数のタグを付けています。1記事にだいたい5〜10個程度です。複数の記事を読んだ時に、共通で踏んでいるタグがあるので、ユーザーの嗜好がわかり、提案の精度が上がるんです。例えばあるユーザーが読んだ記事の全てに「京都 紅葉」のタグが付いているなら「このユーザーは京都の紅葉を見に行きたいんだな」とわかるし、「紅葉」は共通していても場所が「日光、京都」など別の場所のタグも踏んでいたら「まだ場所は決まっていないんだな」といったことがとわかる。
LINEトラベルjpでは、実は6万個ものタグを使い分けていて、それを大中小の階層に分類しているんです。これを活用するとスキー、スノボ、その上位階層であるウィンタースポーツといった近い概念の趣味嗜好もマッチングが可能になります。タグはトラベルナビゲーターというクラウドワーカー型のライターにつけてもらい、社内の編集側で適宜チェックしています。3万以上に上る記事と合わせてこの階層タグがあることが大きな資産ですね。
伴:なるほど、階層分類されたタグを元にマッチングさせていくんですね。旅行はリアルタイム性が大事だと思いますが、都度提案するものを変えているということですか?
樋口:そうです。まさにリアルタイムにアクセスログを更新し、最適な提案に変えていますね。人の気は移り変わっていくので、1分前までスノーリゾートを見ていたのに、ふと気づくと温泉を見ているなんてことも起きるわけですよ。でもその変化にこまめに対応することで、ユーザーが増えていくのだと思っています。
デジタルシフトに必須なのは採用
樋口:私が入社後にエンジニアの採用にも力を入れていったんです。多くの企業では、やりたいことがあっても、技術者を採用できないことが多いですよね。それは、採用側がエンジニアの技術を因数分解して、どういう技術のエンジニアが必要か、というマッピングができないからだと考えています。
私自身もキャリアの中で、開発やエンジニアリングに携わってきたので、自社で求めるサービスの開発に、必要なスキルがわかります。だから、自分で採用サイトの候補者のプロフィールを見て、「このスキルがあるから、この人を連れてこよう」とピンポイントでスカウトしていったんです。エンジニアともマッチしやすく、採用会社の人には「こんなに採用がうまくいってる会社、ないですよ」と言われたほどです(笑)。
エンジニア採用で大事なのは、まずスキルを因数分解すること。そして、「君のこの貴重なスキルを、会社のこの重要事業でこう使いたいんだ」と自分の言葉で伝えることです。上記の例で言えば、会社の成長に必須なレコメンドエンジンの開発に必要な機械学習のエンジニアなどが一例ですね。
そうすると、「僕のスキルとぴったりですね」と向こうもわかるんですよ。自分の輝く場所がある、とキラキラした目で話を聞いてくれて、「行きます」と言ってもらえるんです。
私が入社するまでは、開発を外注していましたが、今では内製に切り替え、全社員の約7割がエンジニアです。採用は人事まかせにするのではなく、社員全員でやるべきもの。そして、その分野のプロが、どんなスキルを求めているのか因数分解して、自分で探して行くことが必須です。私は、テクノロジーを活用することだけでなく、採用と組み合わせて会社を変えていくことがデジタルシフトには必須だと考えています。
伴:採用までできて、初めてデジタルシフトなんですね。
樋口:そうですね。人があってこそのデジタルシフト。伴さんの好きなサッカーで例えるなら、選手と一口に言っても、キーパーとフォワードだと求められるスキルが全く違いますよね。「エンジニアを採用する」=「サッカー選手を採用する」といった漠然としたレベルではいいチームは作れません。キーパーの強化が必要であればどのようなゴールキーパーを採用するのか?といった因数分解ですね。
W杯で盛り上がったラグビーでもスタンドオフとプロップの選手では体もスキルも全く違いますよね。今の自分のチームの状況を分析して、役割に合う人を入れるべきですし、それがヘッドコーチとしての経営陣の役割です。もちろん環境も大事です。私はエンジニアにとって魅力的な会社が何かというのを突き詰めて、チーム、人事や経営陣の中で伝えることで、会社のスタンダードを変え、環境を整えてきました。
伴:そう考えると、本当にデジタルシフトをしたと言えるまでには、どの企業もまだまだすべきことがありますね。
樋口:そうですね。どんな企業でもデジタルシフトの余地はまだまだあります。うちはインターネットカンパニーだから、デジタルを活用したオペレーションをしていると思われがちですが、バックオフィスも同様で、私が入った後でも、請求書を紙で3つも4つもハンコを押して山ほど送っていました。聞いてみたら「ずっとこういうやり方でやってきたので、やめた際の取引先からの反応が読めず習慣になっていた」と。
そこで「今はクレジットカード会社も通信会社も以前のように紙で明細は送らないので、事前に断りを入れた上で送らない方向で試してみよう、紙で送って欲しいという企業からは個別にリクエストを受けましょう」と提案したんです。実際に紙での請求書の送付をやめてもクレームはありませんでした。そういう小さいところで、デジタルシフトの余地は山ほどあるんですね。足元から、本当の意味で企業をデジタルシフトさせていきたいですね。
より便利で快適な、コネクテッド・トリップの実現へ
樋口:旅行をしたいユーザーの行動や考えがさらに見える化され、よりカスタマージャーニーに沿ったサービスが提供できるようになるでしょう。世界的にも言われているように、LINEトラベルjpも今取り組んでいるのが「コネクテッド・トリップ」の実現です。
コネクテッド・トリップとは、デジタルでさまざまなサービスがカスタマージャーニーに則って繋がった、より快適な旅行体験のことです。
例えば今だと、旅行メディアで行き先の情報を調べ、旅行先を決めてインターネットで航空券をとり、ホテルを取っていても、また同じような情報を入力して、レンタカーを手配しなければいけません。
伴:時間や目的地などすべてインターネット上で管理しているのだから、一気通貫できるはずなのに、というところですよね。
樋口:そうなんです。移動手段や宿泊など各々は便利になっても、全体を通してみると、サービスがぶつ切り状態で全く繋げられていない。まだデジタルを活かしきれていないと感じています。
例えば中国の上海行きの航空券を予約したら、滞在先のホテルはもちろん、現地でのアクティビティ、レンタカーやレストランの予約が必要かもしれない。中国だとインターネットが制限を受けるので、特別回線のWi-Fiも欲しいかもしれません。台風が多い時期ではキャンセルや便変更に備えた旅行保険、万が一緊急で便の変更が必要になったらホテルの宿泊やレンタカーも連動して変更が必要になるなど改善の余地は多くあります。我々は、LINE IDを活用することで、顧客視点に立ったコンシェルジュの発想で優れた顧客体験の実現された世界を目指しています。
これが実現できれば、旅行前の下調べからはじまり、ホテル・航空券の予約、現地に到着した際のレンタカーやライドシェアの手配、現地でのWi-Fiサービスまで、個人に最適化された旅行体験が実現できる。LINE IDという武器があるからこそ実現可能な目標ですね。
伴:要はLINE ID自体がCDP(※)、つまり個人のデータを集積し、結合するプラットフォームになっているので、多方面から取った顧客データを活用できるんですね。
※CDP(カスタマーデータプラットフォーム): 顧客データを、実在する個人を中心に収集・結合するシステムのこと
樋口:そうですね。CDPがないサービスだと、複数のスマートフォンとPCとで旅先の情報を閲覧した場合、データ上は別のユーザーとして判断されてしまうので。LINEはそこを繋げて同一の個人のデータとして蓄積することができるので、より正確なカスタマージャーニーが描きやすいんです。
ただ、現状はコネクテッド・トリップ実現に向けて、まだ旅行業界としてデジタルシフトできていない部分の改善余地が多いのが実情です。
例えば、日本は世界でも有数の鉄道先進国と思われて来ましたが、訪日外国人旅行者にとってどのように映るか?日本人は普段意識しないかもしれませんが、チケットレスのための交通系ICカードすら現金じゃないと買えなかったり、乗車券を購入するのにクレジットカード決済が使えなかったり。訪日の外国人からしてみれば、いちいち外貨に代えなければいけないので、すごく不便ですよね。
新幹線などの席予約にしても、まだ海外向けのサイトも限られていたり、紙での発券が必要だったり。日本の鉄道は1分の遅れも許容しない世界に誇る厳格なクオリティである一方で、デジタルの活用という意味ではまだまだ改善の余地は多くありますね。
伴:驚きました。旅行業界は大分デジタルシフトが進んでいると思っていたのですが、隙間隙間でまだフォローできていない部分が多いんですね。2020年には東京オリンピックも控えていますし、グローバル化は早急な課題ですね。
樋口:そうですね。ただ、デジタルが上手く活用できていない部分がある分、日本の旅行業界はまだまだ伸びる可能性があると思っています。まず身近なところから、デジタルシフトしていかなければいけません。我々としても、よりインバウンド向けのサービスに力を入れ、需要と消費額を増やし、日本の観光産業を潤していきたいですね。