世界が注目するスマートマスク「C-FACE」。コロナ禍・オリンピック延期で事業転換を余儀なくされたスタートアップがスマートマスクを開発するまで
2021/6/3
相手のスマートフォンに音声を届け、「音声の文字化」「8カ国語の翻訳」「議事録機能*」などの機能を持つスマートマスク「C-FACE」を開発したドーナッツ ロボティクス。「C-FACE」は発表と同時にニューヨーク・タイムズ、CNNなど世界中のメディアが取り上げ、世界153社からオーダーが舞い込む爆発的なヒット商品になりました。実は同社がこの数年間、開発に取り組んでいたのは、翻訳機能を持ち、受付や見守りなどができる小型ロボット。東京オリンピックの需要を見込んで開発され、各地ホテルへの導入も決まっていったところ、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により注文のキャンセルが相次ぎます。窮地に陥る中、1ヶ月の超短期間で開発されたのが、世界初のスマートフォンとつながるマスク「C-FACE」。C-FACEは、なぜスピード開発することができたのか、コロナ後はどのような利用を見越しているのか。また「2050年、意識を持った人型ロボットで世界を変える」を目標にロボット開発に取り組む同社は、どんな未来を見据えているのか。アフターコロナの時代を生き抜くロングスパンの戦略についてCEOの小野 泰助氏に伺いました。
Contents
ざっくりまとめ
-ドーナッツ ロボティクス社は、最初のプロダクトとして、受付や翻訳、音声による健康チェックのできる小型ロボット「cinnamon(シナモン)」を開発。羽田空港ロボット実験プロジェクトに採択される。
-東京オリンピックでの需要を見込んで、ホテルへの導入が決まっていたが、新型コロナウイルスの影響ですべてが白紙に。
-この異常事態に素早く事業を転換。以前より温めていたスマートマスクのアイデアを実現するべく、社内リソースの9割を投入して1カ月で、プロトタイプを発表。ニューヨーク・タイムズなど世界のメディアに注目され、10億円規模の資金調達に成功。
-現在、新しい機能を持たせたスマートフォンを開発中。2050年には人の意識を乗せたロボットを開発して、身体は地球にいながら火星への移住を可能にすることが目標。
オリンピック需要を見込み、翻訳ができるロボットの製品化にこぎ着けるもコロナで一気に白紙に
僕はドーナッツ ロボティクス以前にも何度か事業を起こしているのですが、当時は実力がなく、なかなか成功させる事ができませんでした。周りからは そう見えなかったかもしれませんが、僕は人生の大半を どん底といえるところで過ごしていました。40歳を手前にして、一念発起する為にも、上場できるような事業を探していました。
そんな僕でもひとつだけ特技がありまして。当時地元では、デザイナーとして、ある程度認められていて、福岡のテレビ局の番組に準レギュラーで出ていました。番組では、上手くいかなくなっている店舗のデザインを変えて、再生させるという企画を続けました。その企画を経て、デザインやプロデュースの分野では、誰にも負けないという自信がつき、どんな事業でも成功できるという自負が芽生えました。そして「今から100年後に隆盛を極める産業はなんだろう?」と考えて浮かんできたのが、「AI」と「ロボット」の2つでした。
―最初のプロダクトである小型ロボットの「cinnamon」ですが、豊富な資金もない中、エンジニアではない小野さんがどのように開発したのか教えてください。
cinnamonについては、少子高齢化の進む日本では将来、見守りが絶対に必要になると予想していて、こんなロボットがあればニーズが高まると周囲に話していたんです。しかし、誰からも理解してもらえなくてですね。結局自分でやるしかなかったんです。個人では 大きなお金もないので、まずは福岡県の補助金を申請して100万円ほどの資金で試作機を作りました。
地元には、世界的な産業用ロボットを作っている会社があるんですけど、試作機は、そこに関係するエンジニアにお願いしてロボット内部を作ってもらいました。外観デザインや企業ロゴ、ネーミングなどは、もちろん僕が担当しています。試作機をクラウドファンディングで発表すると、少しだけ話題になり、少額ですがベンチャーキャピタルからの出資が決まりました。その後の数年、まだまだ大変な時期は続くのですが、初めて他人からの出資を経験し、なんとかロボット事業をスタートする事が出来ました。
―cinnamonは「羽田空港ロボット実験プロジェクト2017」に採択されましたが、受付や翻訳などがメインの用途だったのでしょうか?
そうです。オリンピックで海外から多くの人がやってくるので、翻訳ができるロボットを無人の受付に設置すれば、人材が足りなくても海外観光客の対応ができます。羽田空港とは、そのための実験を一緒に進めさせていただいていて、毎日どうやって来月の開発費を調達しようかと悩み、大変だったんですけれど、なんとか製品化にこぎ着けたという感じです。
当時はオリンピック需要で新しいホテルがどんどん建っていて、そこに翻訳ロボットがあれば便利だろうということで、何百台も依頼がありました。しかし、新型コロナウイルスの影響で全部がキャンセルになってしまったのです。苦労を重ねて、次の資金調達も 億単位で決まっていたのですが、それらの出資がなくなる事は容易に予想出来ました。他のスタートアップと同じく、コロナ禍で事業が継続できるか?と大きな危機感を持ちました。
窮地からのスピーディな経営判断で、コロナ時代に即座に対応
cinnamonの製作を進めている時から、社内にスマートマスクのアイデアはあったんです。社内の東大エンジニアが「話した言葉がそのまま文字になるマスク」のアイデアを持っていまして。話を聞いた時は面白いと思ったのですが、当時はマスクをしている人の方が少数派だったので、アイデアだけ温めておいたんです。
そこから新型コロナウイルスが蔓延し、私達の事業も窮地に立たされました。世界的には一気にマスク需要が高まったので「今こそ、あのアイデアを形にするタイミングだ。」と考えました。我々のリソースの ほとんどをスマートマスクの開発に割き、約1ヶ月で C-FACEとしてプロトタイプを作ることができました。C-FACEは離れた相手のスマートフォン機能を有するウェアラブルデバイスに声を届けられるので、ソーシャルディスタンスを保持した会話が可能です。加えて、8カ国語の翻訳と、7月末からは議事録の作成もできるようになる予定です。
―そこまでの機能を備えて、開発期間はたったの1ヶ月ですか。
当時は、まだどんなウイルスなのかも分からず、もう世界が終わるんじゃないかぐらいのイメージで、自分たちの事業も続くか分からない。そんな状況だったから、ぜんぜん寝ずに仕事ができて、1ヶ月という短期間で実現できました。エンジニア達も、もしかしたら寝てなかったかもしれないですし。今、cinnamonとC-FACEのリソース配分は、だいたい1:9くらいの割合です。
―C-FACEを発表して国内外の数多くのメディアに取り上げられましたが、そこでまた状況は大きく変わりましたか?
信じられないくらい変わりましたし、本当に有り難かったですね。ある程度話題になるとは思っていたんですけど、ここまでとは思っていませんでした。国内のほとんどのテレビ局に取り上げていただき、ロイター通信やニューヨーク・タイムズ、CNNニュースなどの海外メディアも興味を持ってくれました。たくさんの世界企業から連絡がありました。今は、期待が大きくなり過ぎて、それにお応えすべく、機能を急いで開発している最中です。
アフターコロナを見据え、カルテの自動化や元気度合いチェック機能*をマスクに付与
医療業界など、もともとマスクをしていた業界への普及を進めています。また、7月末から実装予定の議事録機能を応用し、カルテ作成を簡単に出来ないか?を検討しています。医師が処方する薬を声に出したらそのままカルテに記載されていくような。薬局でも薬剤師の発言を記録するなど、煩わしい文字入力を全部C-FACEでやってしまうことも検討しています。今月、医療卸大手のの企業と資本業務提携を発表させていただきました。医療業界の課題解決はとても価値があると考えています。
―カルテ作成サポート以外には どんな機能を予定していますか?
音声データから、その日の元気度合いをチェックする機能を7月中に搭載します。
―翻訳もできて、元気度合いもチェックできるとなると、それはもうマスクというより、口につける新しいデバイスですね。
そうですね。僕たちは次にスマートフォンを開発する予定ですが、スマートフォンとマスクに加えて、次はスマートグラスを作るかもしれない。そういったことをやっていくと、いずれは人型ロボットが完成する、といったストーリーを描いているんです。
*「元気度合いチェック機能」は7月末を目途に搭載予定です。
マスクにスマートフォン・・従来のデバイスを「再定義」する
従来のスマートフォンとは少し違うものを作る予定です。ロボットのように、今までにないものを世の中に普及させるのは相当大変なんですけど、マスクとかスマートフォンとか、今までみんなが使っていたものに付加価値を乗せて普及させることは、そこまで大変ではないのです。たとえば時計ならば「だいたいこの価格だったら、こういう機能がついているな」ということを消費者が想像できます。なので、「ITで時計にこんな機能を与えれば、これくらいの価値になる」ということを理解してもらいやすいんです。
C-FACEは内部に基板とマイクとバッテリーが入っていますが、これは既存の技術を掛け合わせてできたものです。今あるものに上手く手を加えて新たな価値を与える。
言い換えると、成功するには、既存技術で既存製品を再定義するということが最も重要な事です。
―C-FACEが世界的に話題になった理由はそこなんですね。
最初、cinnamonでロボットを作ってみて高いハードルがあることを経験して、いろいろ分かってきました。マスクは市場が大きくて、世界中の人に必要とされている枯渇感が強かったのが大きいですね。「日本はこれから人口が減って人手が足りなくなる、だからロボットを作ろう」くらいの漠然とした需要だと、なかなか爆発的には普及しません。
ロボットやハードウェアの企業は、アイデアを持っていても、ほとんどがPoC(Proof of Concept=概念実証)といって実験だけで終わりがちなんです。出資を億単位で集めても実験だけで終わってしまい、世の中に普及させられることが少ないんですね。僕たちはそれで終わるのは本当によくないと思っていて。アイデアの検証や実験は大事ですが、そこから具体的な形にして、価格を決めて商品化まで持っていかないと意味がない。知られなければ、存在しないのと同じなんです。世の中の人が誰も使わなかったら、なにも世の中を変えたことにならないので。自分たちの商品の価値を相対的に見て、値付けをして、消費者に買ってもらう必要があると考えています。
人の意識を乗せたロボットを火星に送る未来
イーロン・マスクの立ち上げたNeuralinkが進めているように、将来は脳にチップを埋め込んで脳波でロボットを動かしたり、義手を動かしたりできるようになるでしょう。まだ詳しくはお話しできませんが、我々もそういった技術に注目しています。それらのような長いスパンの開発も進めながら、今は目の前のスマートマスクを増産して販売していく、という状況です。
―意識をロボットにアップロードする話については、御社のWebサイトにも掲載されていますね。
そうです。「人類火星電送計画」という、クレイジーなことを僕は言っているんですけど。人類が地球に住めなくなったら、イーロン・マスクは火星に人類を送ると言っているんですよ。でも、僕らがロボットを作って火星に設置し、人間の意識はコンピューターにアップロードして伝送できれば、わざわざ人間が火星に行かずとも、火星ではロボットの身体で動くことが出来ます。そもそも、意識をアップロードして、ロボットの身体を動かせるなら、地球の自然環境問題も解決するし、不老不死が実現して火星に移住する必要もない。日本の小さなスタートアップの僕が、世界一といわれているイーロン・マスクや、同じく宇宙開発をしているジェフ・ベゾスに挑戦できるのがとても面白くてですね。(宇宙開発には、他にも大きな意味があるのですが)今、スマートフォンを作りながら、僕が考えているのは そういうことです。
―まるでSF小説のような、なんだか夢物語のように聞こえます。
2050年を目標にしているので、まだ先の話です。現在は、いろいろな研究者と議論をしているところです。地球と火星というと夢物語に聞こえるでしょうが、たとえばパリ旅行をするときも身体は日本にいて、意識をパリに転送してロボットを動かせば、瞬時にリアル旅行を楽しめるようになります。人型ロボットでルーブル美術館を歩くことができるんです。意識を転送する前の段階では、VRゴーグルをつけて遠くのロボットを動かす事になります。
―御社は創業時から過酷な状況でしたが、新型コロナウイルスの影響も受けつつ、ここまで生き残れた理由はどこにあるとお考えですか?
人口が減っていく時代にはAIとロボットが必ず伸びると予想して、ドーナッツ ロボティクスを創業しました。前述のように創業時は、出資が集まらずに苦労して、補助金も使いながらなんとかやってきました。cinnamon計画がスタートできたと思ったら、コロナの影響でほとんどのオーダーがストップ・・。でも、そこで僕は落ち込まずに「このコロナという大きなマイナスの力を逆手に取って、推進力にできないか?」と考えました。そして生まれたのがスマートマスクのC-FACEです。逆風を順風に変えよう、日々できることを続けようと積み重ねてきました。有り難いことに、C-FACEは世界中から注目されるヒットとなりましたが、一歩間違えれば、そこに至らずに終わっていた可能性もあったと思います。僕らのような本当に小さな組織でも、長年、日の目を見なかった会社でも、諦めなければ今のような奇跡も起こせるかもしれない・・という思いでここまでやってきました。これからも挑戦を続けますので、失敗や挫折があるでしょうが、なんとか乗り越えて、少しでも世界に対して価値のある企業になりたいです。
小野 泰助
ドーナッツ ロボティクス株式会社 CEO
2つの大企業創業者の血を引くが、14歳で 父を亡くし、経営やプロダクトデザインを独学で身につける。22歳で 起業し、数々の失敗の後「デザインの匠」となり、多数のテレビに出演。2014年、北九州のガレージで、小型ロボット「cinnamon」をデザインし、ドーナッツ ロボティクス社を創業した。