精神疾患の治療をアプリで。emolが見据える“デジタル治療”の未来
2023/5/9
日本国内において精神疾患を有し、通院などをしている患者数は年々増加しています。しかし、医師にとっての費用対効果の低さから適切な治療が進んでいない現状があることも事実です。それらの状況を打破する可能性があると考えられているのが、スマートフォンのアプリなどを利用して行う「デジタル治療」です。海外ではすでに多くのアプリが治療用として国の認可を受けていますが、日本ではデジタル治療として認可を受けているアプリは未だ三つしかありません。
現在、日本でこの領域に取り組んでいるのが、AIキャラクターと会話することで感情を記録し、メンタルヘルスをサポートするアプリ「emol(エモル)」を運営するemol株式会社です。同社は「物事の受け取り方や考え方の歪みを改善し、柔軟な捉え方に基づいて行動する」という認知行動療法に着目し、その療法を取り入れた精神疾患治療用アプリを開発中。今回は、同社でCEOを務める千頭 沙織氏にemolの開発経緯や、精神疾患のデジタル治療市場の動向、今後の展望についてお話を伺いました。
Contents
ざっくりまとめ
- emolはAIと会話することで感情を記録し、セルフモニタリングを可能にするアプリ。
- 日本では審査期間の長さや事例の少なさにより、「治療用」と承認されているアプリが極端に少ない。
- 疾患について理解がなく羞恥心を抱えてしまうのが、日本が持つ精神疾患分野の課題。
- デジタル治療は認知行動療法が持つ課題に対してもアプローチが可能。
- デジタル化が進む医療の現場において選択肢を提供する存在を目指す。
AIであれば相談しやすい。自身の経験をもとにしたemol開発秘話
emolの前にもいくつかのアプリサービスをリリースしたのですが、なかなか使ってもらえない状況が続いていました。その原因を考えたときに、自分が切に使いたいと思うサービスをつくっていなかったことに気がつきました。そこで、私自身をターゲットにしてアプリをつくろうと考えたのがemolの始まりです。
私は大学時代にメンタルの調子を崩してしまい、その後もメンタルの不調を引きずっていた経験があることから、同じような症状に悩む方々に対してアプローチするサービスがつくれるのではないかと考えました。当時の私は、なかなか自分の不調を人に相談することができず、精神科に行くことすらできていませんでした。その理由を紐解いたときに「人を信用できていなかった」ということに気がつきました。
人は相手の話す内容に対して自分なりの“評価”をしますよね。「そんなことで悩んでいるの?」という反応をされるのではないかと考えてしまうことで、本音で話すことができなかったのです。そこで、独善的な評価や判断をしないAI相手であれば相談しやすいのではないかと考えました。しかし、ただAIに話しかけて返答をもらうだけではただのチャットボットと同じです。emolは、アプリ上でそのときの感情を選択してAIと会話することで感情を記録し、セルフモニタリングを可能にすることでメンタルケアをしていく仕様になっています。
——メンタルヘルスにアプローチするアプリということで、法的な部分でのしばりはありますか?
emolは治療用のアプリではなくセルフメンタルケアをサポートするアプリなので、「あなたはうつ病です」「効果があります」といった断言ができず、ユーザーにとってややぼんやりとした伝え方になってしまうのがもどかしい部分ではあります。これまでemolに関して、企業や自治体とともに実証実験をいくつか行ってきたのですが、医療領域ではなくあくまで心理領域の実証実験なので、断定的な言葉を使ったり、アプリ内で提供しているプログラムを「治療」という名目にしてしまったりすると、薬機法に違反してしまうことになるのです。
逆に、PMDA(医薬品医療機器総合機構)という国の機関の審査で「治療目的である」と認められ厚生労働省から承認を受ければ、効果を明記することができます。我々は現在、強迫症用の治療アプリの開発に取り組んでいるのですが、厚生労働省から治療用アプリと承認されれば「強迫症の治療を行うアプリである」という明言が可能になります。
海外では多くのアプリが治療用として国から認可
日本で治療用として承認されているのは、CureApp社がリリースしている高血圧症治療、ニコチン依存症治療のアプリと、サスメド社がリリースしている不眠症治療アプリの三つです。サスメド社のアプリに関してはまだ保険適用にはなっていません。一方で、海外ではすでに数多くのアプリが治療用として国の承認を得ています。特に精神疾患領域は多いです。欧米だと産後うつ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、パニック障害などの精神疾患をはじめ、ガンや糖尿病などの疾患に対する治療アプリもありますね。
——日本が他国に比べて治療用アプリが少ない理由はどこにあるのでしょうか?
他国に比べて審査に時間がかかる点にありますね。事例も少ないため、審査基準がまだしっかりと定まっていないということもあると思います。ドイツは特に承認が迅速で、早ければ3ヵ月ほどで仮承認が降り、患者に使用してもらうことができるのです。仮承認期間に臨床試験を行い、データが取得できれば本承認になります。対して日本は、長い期間をかけて治験を行ったのちに申請し、そこから承認が降りるまで1年以上かかることもあります。
——国内外を問わず、開発されている治療用アプリの特徴や傾向はあるのですか?
なんらかのデバイスと併用してアプリに記録を残すことで生活習慣にアプローチするような、アプリを治療補助として使用するものや、認知行動療法をアプリ上で行うものが多いですね。まさに我々が現在開発している強迫症治療用アプリも、認知行動療法を用いて疾患の治療を行うものです。海外では、アプリ上で対人のサポートを受けられるものもあるようです。日本だと、まだ承認は降りていませんが、VRを使って認知行動療法を行うものも臨床研究が進んでいますね。
日本の精神疾患治療における課題とアプローチ
そもそも、精神疾患に対する理解がない、という部分が大きな課題ですね。例えば「うつ病」という疾患はよく知られていますが、強迫症を含む「不安症」という疾患がどのような疾患なのかについて、ほとんど知られていませんよね。不安症は、関連する疾患を含めると相当潜在数が多いのですが、「ただそういう性格なのだ」と考えられ、気づけていないことがあります。このように、多くの人が精神疾患を他人事と捉えており、身近な人や自分が治療対象になる可能性を認識していないのです。
——自分が精神疾患を抱えていると認めたくない、という人もいそうです。
そうですね。これも疾患に対する理解不足からくるものですが、精神を患うことを「恥ずかしい」と考えている人が多いことも課題です。以前、私自身がメンタルの不調を抱えていた際に精神科に足を向けなかったのも、この思考からです。日本では精神疾患に対して、心のどこかで「異常なこと」「ただの甘え」と考えてしまう人がまだまだ多いのではないでしょうか。
一方、欧米では、精神科にかかることを恥ずかしいことだと考える風潮はありません。以前、出張でドイツに行った際に耳にしたのですが、ドイツ人は自分のメンタルが弱っているときに周囲に相談するし、恥ずかしいとも思わないそうです。自分の症状を恥じて治療の機会を逃すことは、症状を悪化させて結果的に治療期間を伸ばす要因につながってしまうこともあります。
また、いざ精神科に行こうと思っても病院の予約が埋まっていて通いづらいことも、精神科から足が遠のいてしまう原因の一つですね。
——これらの課題に、アプリを使ってのデジタル治療はどのようにアプローチできるのですか?
精神疾患に対してアプリでの治療が可能になれば、メンタル不調によって外出が困難な人でも自宅で治療が可能になります。「精神疾患は恥ずかしくない」という認識を社会的に浸透させていかなければいけない一方で、その考え方が普及する前段階でも躊躇なく精神疾患に対して向き合える人は多くなるのではないでしょうか。また、これまで予約が取りづらかった精神科の治療を、アプリであればすぐに受けられます。実は、アプリを使ってのデジタル治療を行うことで、認知行動療法が持つ課題の解決にも寄与できます。
——認知行動療法の課題とはどのようなものですか?
認知行動療法は、医師が30分以上の治療を行った場合、1回につき4,800円分の保険点数が発生します。しかし、医師を30分拘束して4,800円分の保険点数しかつかないことは、病院の立場からすると費用対効果がわるいのです。ゆえに、公認心理師が認知行動療法を行うことが多いのですが、それだと患者は保険適用外で治療を受けなければなりません。認知行動療法は一般的に16回1クールの治療を行うので、1回の治療が保険適用外で約5,000円前後となると金銭的にも大きな負担になります。治療用アプリによって、保険適用された上でアプリを使って認知行動療法を行えることは、患者の金銭的な側面でも大きなメリットです。家で治療ができれば、セッション回数が多いことによる精神的負担も軽減できますね。
また、認知の歪みを取り払って物事の見方を柔軟にするという行動は、結局は本人が行っていかなければなりません。そこに対するサポートを継続的に行っていくという意味では、いつも手元で操作できるスマホのアプリで受けられるデジタル治療は、認知行動療法と非常に親和性が高いと考えています。
オンライン化が進む市場で、多様な要望に応えられる選択肢を
現在開発中の強迫症の治療用アプリの開発を含め、認知行動療法が保険適用されている精神疾患の治療に対する開発を強化していきたいですね。というのも、日本において精神疾患に対する理解を普及していくためには、需要が高い「治療」の領域から我々の存在を知ってもらって、「アプリを使った治療」に対する信頼を得ていくことが先決ではないかと考えているためです。そこから、一般向けのメンタルヘルスをサポートするアプリ「emol」を当たり前に利用してもらえるような流れをつくれればと思っています。
——デジタル治療という市場においての展望はありますか?
現在、電子カルテの導入など、医療の現場でのデジタル化は着々と進んでいます。今後、精神科における診察は、フルオンライン化の方向に進んでいく可能性もあると考えています。我々も、治療用アプリを開発する企業としてその流れの一端を担うことができればと思っています。
しかし一方で、「やはり対面で診察してほしい、話を聞いてほしい」という気持ちを抱えている人も多くいるはずです。我々のサービスも、そのような多様な要望に応える選択肢の一つになればと考えています。
千頭 沙織
emol株式会社 代表取締役CEO
emol株式会社CEO。2013年に美大を卒業後、2014年にクリエイティブ会社、株式会社エアゼを創業、webやアプリの企画・デザイン・開発の業務に携わる。その後、自身の実体験から悩みを抱えている人の拠り所になるサービスを作りたいと思い、2018年にAIとチャットで会話をしながらメンタルケアをするアプリ『emol』をリリース。2019年にemol株式会社を創業しメンタルヘルスの課題にアプローチした事業を行う。