IT/AIで医療と病院はどう変わる!? 慶應義塾大学病院が目指す「AIホスピタル」とは

AI

医療の世界では主に画像診断支援に使われていたAIを、日常業務に転用することで独自のAIホスピタルを目指す慶應義塾大学病院。患者さんの受付から問診、院内の移動や各種検査まで、AIを活用することで現場の負担を減らし、患者さんに寄り添った医療を実現しています。「我々は常にプラクティスの視点から、実装可能な未来の医療を考えています」と語るのは同院の陣崎 雅弘副病院長。内閣府による「AIホスピタルによる高度診療・治療システム」事業にも採択された、高度な医療の形に迫ります。

AIホスピタルを実現するために「組織の形」と「やるべきこと」を設定

――貴院の取り組みは、内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム「AIホスピタルによる高度診療・治療システム」事業の公募に採択されましたが、この事業に応募した理由を教えてください。

当院では以前よりメディカルAIセンターを立ち上げてIT化・AI化を独自に進めていました。そんななかで、内閣府の公募を知り応募した次第です。採択された当初はAIホスピタルを実現するために何をするべきか手探りでしたが、「どんな組織をつくるのか」「何をやるのか」の二点を意識してプロジェクトを進めることにしました。

どんな組織にもITに詳しい人間はいますが、個人の力だけではDXは実現できません。組織全体でDXを推進するためには、ヘッドを小さくして裾野が大きく広がるような組織が必要だと考えました。我々が立ち上げた「AIホスピタル委員会」では、管理部門は数人の規模にして、逆に25個以上ある各診療科には1名か2名のAI担当医を配置し多くの人数で構成されています。そうすることで、管理部門の意向が担当医を通してたくさんの診療科にスムーズに伝わり、また現場の課題も担当医からボトムアップで上がってくる仕組みになっています。

――縦割り組織でDXを阻害してしまわないよう、風通しのよい組織を目指したわけですね。

そうですね。それぞれの診療科の動向を他の科も知ることができるので、横展開も進めやすくなります。また、この委員会には医学部長、病院長、事務局長にも参加してもらうことで意思決定も速くなりました。病院の通常の承認過程を経ると決定まで数ヵ月を要することも多いですが、AIホスピタルのプロジェクトはこの委員会にかけて通れば即実施が可能なようにしました。委員会は2ヵ月に1回の頻度で、もともと会議室で40名ほどの規模で開催していましたが、今ではオンラインで毎回100名ほどの参加者がいます。病院全体でのDXの取り組み、ボトムアップで現場の課題を吸い上げる体制、意思決定の速さ。これが当院の特徴です。

「脳動脈瘤」と「脳腫瘍」を同時に見つけられないAIの弱点

――これまで医療分野におけるAIは、画像認識をテーマにするのが良いと思われていたそうですが、そちらに舵を切らなかったのはなぜでしょうか?

AIはシングルタスクの業務には有効ですが、マルチタスクの業務には不向きという性質があります。例えば、「MRIで脳動脈瘤を見つける」という単一のタスクであれば“脳動脈瘤検出AI”は有効に機能しますが、そのAIソフトは同時に脳腫瘍を見つけることはできません。学習しているテーマが一つなので、一つのことしかできないのです。しかし、日常の全身CTやMRなどの画像診断は、肺、心臓、肝臓、膵臓、腎臓などの多数の臓器の病変の有無を一度に判定する必要があり、マルチタスクな業務です。また、肝臓を診断するときでも、肝硬変だったり、肝臓ガンだったり、炎症性の病変だったりと、あらゆる疾患の可能性を想定して診る必要があります。

さらに、心臓の病気を見つけるために撮ったCTで偶然肺がんがあって、そちらの方が生命予後を左右することだってあります。しかし、モノタスクのAIは事前に想定していることのみに対応するので、想定していないものは診断できません。マルチタスクの業務をカバーするにはいくつのAIソフトを動かせばよいのか想像がつきませんし、偶発所見にはAIは対応できないことを考えると、今のAIは画像診断業務にはあまり向いていないと判断しました。

ちなみに、AIは診断までの過程がブラックボックスであるため、専門家でなければAIの診断結果が正しいかどうかを判定することができません。このため、本当の意味でAIを活用できるのは高度な専門知識をもった人に限られるように思います。そして、現状では保険も適用されません。であれば、高度な専門性をもつ画像診断支援よりも単純な作業をAIに代替させることを目指した方が、汎用性があり、効率よく導入を進められるのではないかと考えました。

受付から各種検査まで、あらゆる面で患者さんに寄り添う

――慶應義塾大学病院の具体的な取り組みについて教えてください。

我々が実現したいのは、IT/AI化を進めることで手のかかる単純作業から人を解放することです。そこで「受付」「診察」「検査」「病棟」という患者さんの受診シーンごとに分けたカテゴリを設定しました。「受付」においては、患者さんが来院されて最初に目にするものとしてデジタルサイネージを導入しました。従来のような掲示板や紙の告知だけでは、なかなか大勢の患者さんに病院の発信している情報は伝わらないんですね。そこでデジタルサイネージを通路に連続で設置して、自然と視覚的に認識できるようにしました。
――品川駅のようなサイネージの設置ですね。

そうです、品川駅の通路をイメージしました。サイネージには病院施設の紹介や、予防接種のお知らせ、新しい会計システムの説明などの情報を流しています。デジタルサイネージ以外にも受付では、問診をデジタル化して、患者さんがタブレットで答えた内容がそのままカルテに反映されたり、その内容をもとにAIが鑑別診断も行ってくれるような仕組みを試みています。

医師が見落としているような診断名も指摘してくれるので、医療ミスの防止にもつながります。

――「診察」の面ではどのような改革を進めたのでしょうか?

まず、診察時の音声がカルテに自動で筆記されることを試みました。患者さんの症状や既往歴、家族歴などを会話の中から認識して、項目別に分かれて自動的に記録できるようになっています。しかし、問題は診察室の騒音と患者さんの話す方言で、会話の正確な認識率に課題があり、これらを克服できるよう改良を進めています。

また、患者さんのスマホにアプリをダウンロードしてもらえれば、ご自身の医療データを配信できるようにしています。検体検査の結果、処方薬の情報、産科では胎児の超音波像などを届けており、患者さん自身で病状や健康に対する意識が高まるようになります。このスマホを通して体重や血圧、自宅でのヘルスデータをクラウドにアップすれば、主治医が参照して遠隔診療もできます。コロナ禍でこの方法は大いに役立ちました。

コロナ禍の諸問題を解決するために「検査」のカテゴリでは非接触化・遠隔化を進めました。まずはペーパーレス化を進め、放射線技術室のX線部門だけで月1万枚ほどの紙を削減しました。眼科の視覚検査も職員の補助がなくても患者さん自身で行える仕組みを導入したり、放射線部門のCT検査や循環器の血管造影検査も遠隔操作かつ非接触で行えるような仕組みを導入しています。

――では、「病棟」の取り組みについて教えてください。

院内データの可視化を図るため、電子カルテや検査システムを一元的に管理できる「コマンドセンター」というシステムを導入しました。飛行機の管制塔や新幹線のダイヤを管理する総合指令室のようなイメージで、特に病床の稼働状況が把握できるので、病床管理の負担も軽減され、入退院業務の効率化につながっています。

高性能なロボットが患者さんの移動負担を軽減 

――先ほど取材前に病棟を通ったのですが、数台の車いす型自動運転サービスや案内ロボットを目にしました。

我々が特に注力しているのが「ロボット」の活用です。人を案内したり、モノを運んだり、患者さんごとの多数の薬剤を選定するピッキングロボットなど、さまざまな作業をロボットに代替してもらっています。このピッキングロボットは薬剤の必要数を正確に拾い上げてくれるので選定ミスが軽減されます。
薬剤ピッキングロボット

薬剤ピッキングロボット

配送ロボット Relay

配送ロボット Relay

車いす型自動運転サービスは近距離モビリティの「WHILL」を採用しています。WHILLは国内外の主要な空港などでも使われていますが、病院にはハンディキャップを抱えた方が大勢いらっしゃるので、多くの患者さんから好評をいただいています。病院に車いす型自動運転サービスを導入する試みは世界初だったこともあり、英文でもプレスリリースを出しました。
https://www.keio.ac.jp/en/press-releases/2020/Aug/31/49-74338/

――実際に病院を利用する患者さんと医療従事者からの反応について教えてください。

やはりWHILLは患者さんからとても評判がよいですね。「なくなったら困ります」「もっと台数を増やして欲しい」「もっといろいろな場所に行きたい」といったご要望を数多くいただいています。また、AIホスピタル委員会には院内の100名近い方が毎回参加しているので、多くの医療従事者に興味を持ってもらえている状況にあると思います。
車いす型自動運転サービス WHILL

車いす型自動運転サービス WHILL

実装できるAIに徹底してこだわり、温かみのある医療サービスを提供

――貴院と同じように、単純作業の負担を減らすためにIT化・AI化を進めている病院はあるのでしょうか?

それほど数は多くないと思います。そもそも単純な仕事をAIに代替させても、AI開発を専門にする研究者の観点からはあまりメリットがないんですね。難しい作業をAIに実行させれば業績になり、論文を書く価値がありますが、単純作業をITやAIで置き換えても当たり前に思われるので、このようなことに注力する人が少ないのだと思います。

AIとは高度な専門的な仕事をサポートするためのツールと思われがちですが、先ほどもお話ししたようにその判断の過程がブラックボックスだと医療の現場では非常に使いにくいです。けれども、モノを運ぶとか人を案内するといった作業であれば、判断の過程は関係ないので普及しやすいです。我々の取り組みは、高度な領域のためのツールだと思われてきたITやAIを、より汎用的な仕事に活用するという道筋を示したことが特徴だと思います。

――患者さんのためを考え、現場で実装できるIT/AIにこだわったわけですね。

患者さんに喜ばれるIT/AIと研究者が実現したいIT/AIはいささか乖離していると割り切り、徹底してプラクティスの面から考えました。

――では、今後の展望について教えてください。

これまではWHILLや案内ロボットのようにホテルや空港で使われていた技術を病院に導入して、患者さんの安心と安全の向上、医療従事者の負担軽減に努めてきました。次のステップでは未来の医療のあるべき姿を考え、企業と連携してそのために必要なIT/AIソフトを開発・実装していきたいと思います。

今研究を進めているのがベッドセンサーです。これからは在宅医療が増えてくることが予想されますが、寝ている人の心拍や血圧、呼吸数や体位の状態から患者さんを管理できるシステムが実現すれば、在宅での管理が行いやすくなります。終末期は家での最期を望む方が多いので、そういったニーズにも応える技術として実装を目指していきます。

私たちはこれからもIT化・AI化を進め、安心・安全かつ高度で先進的なサービスを患者さんに提供しながら、スタッフの負担軽減に努めます。多忙な医師というと、患者さんと話すときもPCのモニタばかりを見ているイメージがあるかもしれませんが、未来のAIホスピタルでは医師が一人ひとりの患者さんの目を見ながら対応ができるようになるでしょう。IT/AIの導入を進めることで、より温かみのある医療サービスが提供できる未来を目指しています。

陣崎 雅弘

慶應義塾大学病院 副病院長

1987年慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部放射線診断科入局。1999年には、Harvard 大学付属Brigham and Women’s Hospital留学を経験。
2014年に慶應義塾大学医学部放射線科学教授へ就任後、2017年には慶應義塾大学病院副病院長(医療情報システム、IT/AI、予防医療担当)へ就任。現在、日本画像医学会 理事長、日本腹部放射線学会 理事長、日本医学放射線学会 理事、日本循環器学会 理事、日本超音波医学会 理事、日本メディカルAI学会顧問も務める。

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