アリババの次なる戦略は、産業全体のデジタルシフト
アリババは米国のアマゾンとよく対比されますが、アリババを単なる「Eコマースの企業」と捉えるとアリババの本来の姿を見誤ってしまうでしょう。私がアリババを一言で説明するとしたら、「中国の社会インフラ企業」と表現します。今まで、B2Bの中小企業を支援するというミッションを持ち、主に「パパママショップ」と言われる零細小売店舗の
DX化を支援してきたアリババ。
デジタルシフトタイムズで以前紹介した、「デジタル百貨店」インタイムなども、小売DXの一例と言えるでしょう。アリババは
クラウド・コンピューティングをベースとして、
EC・小売りを中心としたコアコマース、デジタルメディア&エンターテインメント、消費者向けサービスなど多岐に渡る事業においてプラットフォームを提供し、大きな成長を遂げてきました。
かつて「ニューリテール(新小売)」という言葉を掲げ、オンラインとオフラインを融合させたOMO (Online Merges with Offline)で新しい消費体験を提供してきたアリババ。そんななか、今、アリババの創業者である、ジャック・マー氏が提唱したのが「新産業(New Industry)」というキーワードです。
新産業とは、ひと言でいうなら産業全体のデジタルシフトを意味します。つまり、これまでB2BであるEC・小売分野のDXに取り組んできたアリババが、B2B2Cとも言える産業分野のDXに本格的に乗り出そうとしているのです。これを「アリババがあらゆる産業を自らの
エコシステムに組み込もうとしている」と捉えることもできますが、私はむしろ産業側が享受するメリットを強調したいと思います。これまでデータの利活用が十分に進んでこなかった産業であっても、アリババが得意とするデータアナリティクスの力を活用すれば、利便性や競争力の大幅な向上が見込めるからです。こうした取り組みを通じて、産業分野全体でデータドリブン型のエコシステムを構築していくことこそが、アリババの長期的な狙いだと考えられます。
では具体的にアリババは、どのように産業のDXを進めようとしているのでしょうか。今回は彼らが最も注力している産業分野の一つであるヘルスケア領域にフォーカスを絞り、その取り組みを分析していきたいと思います。
バリューチェーンの急所を押さえる。アリババのしたたかな戦略
アリババのヘルスケア戦略の中心となるのが『アリヘルス』という子会社です。元々は『中信21世紀』という社名で香港市場に上場していたインターネット関連企業でしたが、2014年にアリババに買収され、現在の社名へと変更。Tmallをはじめとしたアリババグループの医療関連サイト事業を統合するヘルスケアプラットフォーマーとして、医薬品のEC事業を中心に業績を伸ばし、2020年度の売上高は前年比62%増の155億1,847万元(約2,750億円)となっています。
ちなみに、中国を代表する総合金融サービス事業者 中国平安保険の上場子会社「平安好医生」もヘルスケア事業に注力していますが、直近年度の売上高をアリヘルスと比較すると、アリヘルスの155億1,847万元に対して、平安好医生は68億6,599万元。アリヘルスの売上高規模は平安好医生の2倍以上です。また、アリババと同じく「BAT」に並び称されるバイドゥとテンセントも、それぞれ「バイドゥヘルス」「ウィードクター(微医)」というヘルスケアに特化した子会社を有していますが、香港市場への上場を果たしているのはアリヘルスのみ。これらのことからもアリヘルスは、名実共に中国最大級のヘルスケアプラットフォームであると言うことができるでしょう。
そんなアリヘルスが近年になって力を注いでいるのが健康診断事業です。2019年に健康診断事業で中国大手の「愛康国賓健康管理集団(iKang Healthcare Group)」を買収するなど、かねてより健康診断事業への進出を進めてきたアリババグループですが、アリヘルスはそれをより洗練した形で具現化しています。オンラインからの健康診断予約はもちろん、アリヘルスが所有するユーザーの医療情報を医師と共有し、より精度の高い診断を実現するシステムを構築しているのです。
アリヘルスが健康診断事業にフォーカスするのは、それが医療・ヘルスケア領域におけるバリューチェーンの中核をなす事業だということを熟知しているからでしょう。健康診断は消費者と事業者の双方にとって非常に重要なタッチポイントです。まずはそこをしっかりと押さえることで、ヘルスケア分野の覇権を握る。そんな思惑が見えてきます。
予約から決済まで。アフターデジタルな医療サービスで、顧客体験を向上
健康診断をタッチポイントとして獲得したユーザーに、アリヘルスはどんなサービスを提供していくのでしょうか。アリヘルスが提供する事業は主に、①クラウド・ベースの医薬品EC事業、②
オンライン診療などの、メディカル&ヘルスケアサービス事業、③
AI画像診断などの医療システム、医療インフラの構築を含む、トレーサビリティ&デジタルヘルス事業の3つですが、まずはユーザーを起点として、ビジネスの全体像を描いていきましょう。
まず多くのユーザーが最初に触れるのは「アリヘルス・アプリ」というスマートフォンアプリだと考えられます。病気に関する知識など、さまざまな医療情報を閲覧できるほか、ウェアラブルデバイスから得た健康情報も一元管理。異常の早期警告もしてくれます。ちょっとした風邪などであれば、アプリからアリヘルスのモールにアクセスして、市販の医薬品を購入し、それで済んでしまうこともあるでしょう。
先ほど紹介した健康診断予約のほか、アプリ上でオンラインドクターによる診療を受けることもできます。ここで問題が発見されれば、症状に合わせた専門の医院へと紹介。アプリが取得した医療情報も、合わせて医師へと提供されます。病院で処方された薬は、アリヘルスのオンライン薬局からデリバリー。病院や薬局への支払いは、もちろんアリペイで済ませることができます。
ちなみにアリペイなどのサービスを提供する、アリババグループの戦略的金融子会社アント・グループは、特定の疾病に対して保障する医療保険「相互宝」を提供しています。この保険を利用して医療費をまかなうこともできるのです。
このようにアリヘルスが提供するのは、リアルとデジタルが融合したアフターデジタルな医療サービスです。「ビッグデータを通じて医療を促進し、インターネットを利用して公正かつ手頃でアクセス可能な医療及びヘルスケアサービスを10億人に提供する」というビジョンを見事に実現しつつあります。EC領域において、OMO(Online Merges with Offline)化を進めることで顧客体験の向上を図ってきたアリババらしい戦略だと言えます。
「駆逐」ではなく「共存」。デジタル化の遅れる中小病院のDXを支援
さらにアリババは、医療機関との連携の強化にも取り組んでいます。これを支えるのが、アリババクラウドが医療機関向けに提供するAIプラットフォーム「メディカルブレイン」です。アリババクラウドの高度なデータ・インテリジェンスを活用することで、医療関連データの統合と構造化および、医療記録管理の品質向上や、病院内の人的リソースの最適化、画像解析を通じた診断精度の向上、発病予測モデルの構築など、さまざまなソリューションを実現しています。
メディカルブレインに限らず、アリババクラウドはこれまでにもAI診断支援やCT画像分析など、AIを活用した幅広いソリューションを提供してきた実績があります。例えば、日本国内ではエムスリー株式会社と協業してAI医療技術「COVID-19肺炎画像解析プログラム Ali-M3」を開発。新型コロナウイルスに対峙する医師の補助ツールとして、医療機関への提供が進んでいます。
こうした取り組みを通じてアリババが目指すのは、「中小病院のデジタル化」です。この戦略もまた、彼らのEC領域での成功体験をなぞるものになっています。アリババはAmazonとは違い、「パパママショップ」と呼ばれる零細小売店舗を駆逐するのではなく、そのDXを支援することで共存することを選びました。これと同じことをヘルスケア分野でも狙っていると考えるべきでしょう。
アリヘルスのヘルスケアプラットフォームでは、いわゆるインターネット病院にかかわるサービスが提供されます。病院を訪れる前にAIによるセルフ診断を行ったり、医師によるリモートでの初診を受けたりして、それら診断結果に応じた病院や医師の紹介をしてもらえるなら、患者は振り分けられて、特定の総合病院への患者の過度な集中は避けられるでしょう。その結果、中小病院である「かかりつけ医」の役割は増すことになり、総合病院への過度な負担をまねく非効率な医療制度の改革にもつながります。中小病院をアリババのヘルスケアプラットフォームへ取り込み、そのデジタル化を推進する。つまり、アリババは中小病院を含む、既存のヘルスケア産業を破壊するディスラプターではなく、共に成長していくイネーブラーとして振る舞おうとしているのです。
日本企業は、グローバルで起こるヘルスケア業界変革にどう備えるべきか
アリババの戦略は、中国当局の政策に影響されている部分があるとはいえ、結果的にはAmazonの戦略とも似通った部分があります。それはECだけではなく、あらゆる産業のデジタルシフトを狙っているという点です。もちろん、ここまで見てきたように、ヘルスケア産業もその例外ではありません。この波は遠くないうちに、日本にも及び、ヘルスケア産業のルールチェンジを促すでしょう。そのとき勝ち残れるのは、デジタルの力でカスタマー・セントリック、AIも活用したDX化を実践し続けていける企業です。それを念頭に置きつつ、日本のヘルスケア産業のデジタルシフトを担ってくれる、新たなプレイヤーの登場を期待しています。