デジタルシフト時代に常識を覆す経営思考~ラクスル・松本社長が明かす「デジタルシフトによるチャンスが眠る業界とは」

旧態依然とした印刷業界で、「印刷機のシェアリング」という革新をもたらしたラクスルの代表取締役社長CEOの松本恭攝氏と、オプトベンチャーズ代表取締役の野内敦氏による対談の後編。
前編では、2人が考えるデジタルシフトの本質を伺いました。

後編となる本記事では、具体的に、どのようなビジネスにデジタルシフトの可能性があるのかについて語り合いました。

■規制の多い領域こそ、デジタルシフトによるビジネスの可能性が眠っている

――前編のお二人の話をまとめると、デジタルとアナログが融合して新しい体験が生み出され、それによって世の中の常識や習慣が変わっていくこと。そしてデジタル・アナログを意識することなく自然に世の中に浸透していくことがデジタルシフトだということですね。

松本:そうですね。テクノロジーがキャズムを超えるときは、シームレスでなければならないと思うのです。「便利すぎてこれを使わない理由はない」と世の中の誰もが思うようなものでなければなりません。

野内:松本さんが前編で話していた“水汲みの話”がまさにそうですよね。テクノロジーによって今までできなかったことができるようになり、しかもそれがとても便利で習慣や既存の常識を変える可能性を秘めている。

そのようなシーンは世の中にたくさんあると思いますが、実際にその端緒を見つけることは簡単ではありませんし、スタートアップ企業もあまり積極的ではないように感じます。松本さんはどのような領域にチャンスがあると考えていますか?
松本:そうですね。日本のスタートアップ企業は“重いところ”(既成概念が浸透し規制の多い領域)になかなか入っていきませんよね。本当は競争が少ないのでとてもチャレンジングな領域だと思うのです。

野内:確かに。農業や建設業はとても期待できる領域なのに、デジタルシフトが全然進んでいない。

松本:テーマはあるのに、起業家がいない。中国やシリコンバレーではありえないことです。テーマ=課題があれば必ず起業家は現れて、投資家の支援を受けるために競争が生まれるのです。

野内:農業も建設業も産業としては非常に大きいですよね。例えば農業に関しては、農業従事者の収入は低水準ですが、テクノロジーによる生産性向上や農業そのもののデジタル化によって収入水準は大きく変わるのではないかと思います。

じゃあ、実際にその領域に挑戦しているスタートアップ企業がどれくらいいるのかを調べてみると、あまり多くはない。産直野菜を直販するようなECビジネスは生まれてきていますが、それを超えるような大きな変化に挑戦している企業はいません。

それはなぜかを考えてみると、農業の規模の違いなのかなと思います。米国など広大な農地で行われる農業を相手にデジタル化をすれば、スタートアップ企業にとっても相応の収益が期待できます。

しかし、高齢者が中心の農家に対して設備投資を進めてデジタル化を実現するというのは、なかなか踏み込めないのではないかと思います。

実は印刷業も同じような状況だったのではないかと思います。そこをラクスルが突破してデジタルシフトを実現したというように、農業や建築業界も、ラクスルのようにどこかが先陣を切って変えに行かなければ、変わらないと思います。

松本:マーケットサイズが小さいというのは、確かに米国や中国と比較するとそうなのですが、ドイツやイギリスと比較すると大きくて、日本は世界で3番目の規模を持つマーケットです。米国や中国との圧倒的な違いは、マーケット環境です。

つまり、業界内の競争環境が全く違う。農業や建築業のデジタル化に関しては、確かに市場規模は小さいですが、競争相手が少ないことによって市場で成功する可能性が高まり、またそれによって生まれる利をより多く得られる可能性があるのです。

米国や中国は、市場規模は大きいですがプレイヤーが多いため競争も激しく利益は著しく小さい状況に陥っています。
松本:つまり、日本の市場規模が米国や中国と比較して限定的という点は同意できますが、日本も決して小さくはないと思います。

そして、競争が激しく利益を削らざるを得ない米国や中国と比較して日本では投資に対して利益を生み出せる可能性は高いということ。結果、ビジネスの可能性は高いということです。

野内:では、なぜ農業や建築業ではデジタルシフトへの投資が進んでいないのでしょうか。

松本:気が付いていないというのが大きいと思います。実は、日本のエコシステムの中にいると「競争」に関する話はあまり出ません。スタートアップ企業も競争優位性というのはあまり気にしませんよね。

これは、米国の投資家でありPaypal共同創業者のピーターティールも言っています。競争がある環境とない環境で比較すると業界に残る収益の総合値は大きく異なります。

つまり、競争を勝つためには利益を削りあって戦う必要があるのです。と、この話を踏まえると、競争が生まれにくいという日本のビジネス環境は非常に恵まれていると思うのです。

野内:確かに競争がないことの価値は理解できます。一方で、競争があるからこそ企業は洗練された製品やサービスが生み出せるという考えもあります。競争がある産業のほうが、産業そのもののレベルが高いという考えです。

松本:そこは、経営者のクオリティだと思います。

例えば、競争がない事業領域において優れたサービスを作り洗練を続けている企業はたくさんあります。確かに、競争があると製品やサービスのクオリティを高めて優位性を生み出そうと努力しますが、競争相手がいなくても洗練された製品やサービスを作り出すことはできると考える経営者もいます。

また競争相手だけでなく消費者や市場からのプレッシャーも、製品やサービスを磨く原動力になるのではないでしょうか。

ただ、競争があると間違いなく利益を削り「良いものを(他社よりも)安く売る」という勝負を強いられます。製品やサービスのクオリティは高まるかもしれませんが、企業価値を上げるのは難しいかもしれません。
野内:おっしゃることはよくわかりますが、ただ競争がない市場で刺激を受けながらイノベーションに挑戦できるかどうか。

松本:ピーターティールの思想に立つと、競争はないにこしたことはないと思いますし、競争がなくても付加価値は作れると思います。ここでいう付加価値とは、売値から原価を引いた経済的付加価値です。

つまり、売値を上げれば付加価値は作れる。どうすれば売値を上げられるのか(売値を上げても消費者は買いたいと思ってくれるのか)というのが大きなポイントで、そこにブランド価値や機能的価値があるのかが重要になります。

日本企業の大きな課題は、ブランド価値や機能的価値がある商品を安く売ってしまっているところ。付加価値をなくしてしまっているのです。

いかに原価を下げるか、いかに売値を上げるかを考えて付加価値を生み出すことが市場経済において非常に大切なことなのです。

野内:とはいえ、コモディティ化している競争環境などでは、最後にはプライシングやコストリーダーシップ戦略が重要な要素になるのではないでしょうか。

■バリューチェーンのどこにデジタルシフトすべきポイントがあるかを見極める

――先ほど、ラクスルにとってデジタルシフトは「取引」と「プロセス」に注目されていると伺いました。生産性向上・業務効率化による原価の圧縮と、安い価格でも利益を生み出せるビジネスモデルにおいて、デジタルシフトが果たす役割は大きいということでしょうか?

松本:そうですね。デジタルシフトがなければ今のビジネスモデルは間違いなく実現できなかったでしょう。

野内:プロセスのイノベーションはコストをいかに効率化するかということですが、ラクスルの場合は取引のデジタルシフト、プロセスのデジタルシフトによって取引や物流のプロセスコストを下げて付加価値を生み出した。

これをほかの産業で考えたときには、それぞれのビジネスにバリューチェーンがあって、そのどこをデジタルシフトすると付加価値を生み出せるかを考えると、シンプルなのかもしれませんね。
松本:そうですね。私もそう思います。バリューチェーンを見極めてデジタルシフトすべきポイントがわかれば、フォーマット化することも可能ではないでしょうか。

野内:加えて、この考え方にはコアバリューがあるか否かも重要なポイントになりますよね。コアバリューがない産業で激しい競争が生まれてしまうと、価格調整弁がない状態で価格競争をしなければなりません。

コアバリューがある産業であれば、そのコアバリューを生み出すバリューチェーンをどのように効率化することができるかを考えることができる。コアバリューがない産業をデジタルシフトしようとしても、最後の差別化要因が「価格」になってしまうと、利益を生み出すのは難しい。

印刷や物流といった産業では効率化すべきバリューチェーンがコアバリューにあったことが、デジタルシフトでインパクトを生み出せた要因だったのではないでしょうか。

■幸せな社会を生み出すためのデジタルシフトとは何か

――ちなみに、AIなどの領域ではシンギュラリティ(テクノロジーの進化によって人間の生活や社会の在り方が大きく変化すること)という言葉が注目されていますが、これから過渡期を迎えるというデジタルシフトが将来シンギュラリティを生み出すと思いますか?

松本:デジタルシフトによって、将来なくなる仕事はきっとあるでしょう。

例えば、米国で自動車が生まれたとき、馬車を扱う仕事に就く人は10年ほどで世の中からいなくなったと言われています。職を失った人はたくさんいますが、ただし一方でそれ以上に新しい仕事も生まれました。

よく考えれば、今の仕事のうち多くは50年前にはなかったものばかり。そもそも仕事というのはなくなるものであり、そして新しい仕事は次々に生まれていくものなのだと考えるべきではないでしょうか。テクノロジーやデジタルシフトはその動きを加速させると思います。

例えば、米国ではゴールドマンサックスが600人いたトレーダーを3人に減らしましたが7000人解雇して、その人たちは路頭に迷うのではなく転職してフィンテック産業を盛り上げている。自分の仕事がテクノロジーに置き換わったら、その人は会社に固執するのではなく自分の能力を活かせる成長産業に身を移すべきなのです。
野内:今まで人でなければできなかったことがテクノロジーに置き換わるというのは大きな流れだと思います。そうした中で、最終的には「人にしかできないことは何か」という究極の問いにたどり着くのではないでしょうか。

今や、考えることでさえ人工知能に任せ、身体を動かすことはロボティクスに任せるような時代になりつつある。

その中で、人間の本質的な価値はどこにあるのか、すべてを機械に任せることが本当に幸せな社会を生み出すのかという問いが、これから私たちに突き付けられるのではないかと思います。

私たちはこれからデジタルシフトをリードしていきたいと考えていますが、一方で社会のデジタルシフトが進むと“あらゆることをデジタルシフトするべきなのか”という命題にたどり着くのではないでしょうか。

何をデジタル化することで幸せな社会のあるべき姿を実現するのかを考えていきたいですね。
野内:ラクスルのデジタルシフトは、今後どのような方向性を目指していくのでしょうか?

松本:ラクスルはまだまだ世の中に普及しているとは言えないので、より多くのお客様にお使いいただけるよう顧客拡大の戦略を推進していきたいですね。

加えて、商品ラインアップもまだすべての顧客ニーズをカバーできているとは言えないので、商品の拡充も進めていきたいです。顧客体験はデジタルシフトによってもっと変えていけると思います。

例えば、印刷物のデザインをオンラインでできたり、企業のロゴがリニューアルした際に必要な印刷物をオンラインで提案したりなど、まだ実現できていないアイデアはたくさんあります。

テクノロジーによるユーザー体験の向上はまだまだできることがたくさんあるので、いまできることから着実にデジタルシフトを推進していきたいですね。
松本恭攝(Yasukane Matsumoto)
大学卒業後、A.T.カーニーに入社。印刷業界に効率化が行われていないことに注目し、インターネットの力で印刷業界の仕組みを変えるべくラクスル株式会社を設立。印刷機の非稼働時間を活用した印刷のシェアリングプラットフォーム事業「ラクスル」や物流のシェアリングプラットフォーム事業「ハコベル」を展開。
野内 敦(Atsushi Nouchi)
株式会社オプトホールディング 取締役副社長グループCOO、株式会社オプトベンチャーズ 代表取締役。1991年森ビル入社。1996年オプトに参画。共同創業者として、グループ経営、組織運営、新規事業設立など、グループ成長拡大に一貫して携わる。現在、グループCOOとしてシナジー戦略を牽引しつつ、ベンチャーキャピタル事業を行うオプトベンチャーズの代表者として、投資先を支援している。