経営・戦略

デジタルシフト時代に常識を覆す経営思考 ~ラクスル松本氏とオプトベンチャーズ野内氏が徹底討論

100年を超える長い歴史を持つ印刷業界。一見するとアナログな業界において、ラクスルは従来の業界構造とシェアリングエコノミーのビジネスモデルに着目し、いち早くデジタルシフトに舵を切ったベンチャー企業のひとつです。デジタル時代を見通してスタートアップを志したラクスルの経営姿勢を高く評価し、オプトグループは2013年から出資を含む事業支援を実施。以来、オプトベンチャーズ代表取締役の野内敦氏とラクスル代表取締役社長CEOの松本恭攝氏は、デジタルシフト時代の到来によって変革する世の中の在り方を語り合ってきました。二人は、デジタルシフトに何を期待し、どのような未来を描いているのでしょうか。

■ラクスルはアナログ業界の「取引」と「プロセス」をデジタルシフトすることで成長した

――まずは、お二人が考える“デジタルシフトとは何か”についてお話をお伺いします。

野内:オプトグループの事業領域で最もわかりやすいところは、マスメディア中心のマーケティングからデジタルマーケティングへの転換ですね。マーケティングにとってデジタルの利活用は不可欠となっています。デジタルによってマーケティング施策全体を最適化するというのが、今のトレンドです。

ただ、私たちはマーケティングのデジタル化だけでデジタルシフトを語るのは十分ではないと考えています。今後は新たなサービスや産業そのものがデジタルを前提に立ち上がっていく時代、デジタルを活用して産業・サービスの仕組みや在り方そのものをアップデートしていくことになります。ラクスルの取り組みはまさにその一例であり、それが今後様々な業界で生まれていくのではないでしょうか。

ラクスルは、そういう意味ではデジタルシフトの中で2歩も3歩も先を走っているように感じます。松本さんは、事業立ち上げの頃からスタートアップ企業とは思えないくらい豊富な知識や市場を読む力、それを事業計画に落とし込む力を持っていらっしゃって、感心しきりでした。

松本:オプトグループがリードしてきた広告業界のデジタルシフトがなぜ生まれたのかを考えると、パソコンやスマートフォンに代表されるデバイスのデジタル化が最も大きな変化の原動力になっているのではないかと思います。同じように、私たちラクスルにとってのデジタルシフトは、「取引のデジタルシフト」だと言えます。これまでアナログな店舗・販売がネット通販やマーケットプレイスという形になっていったわけです。​

そして、もうひとつ重要なのは「プロセスのデジタルシフト」です。例えば、これまで紙・電話・FAXで受けていた注文をアプリからネット経由で受けるようにする。ビジネスをSaaS化していくわけです。こうすることで、生産性が高まります。加えて、例えば最近急成長している電子マネーなど、クレジットカード決済とは別の形で、決済のデジタルシフトが進んでいきます。あらゆる産業がデジタルシフトをしていく中で、注目するポイントやデジタルシフトのアプローチは必ずしも同じというわけではないと思いますが、ラクスルでは「取引」と「プロセス」に注目して、デジタルシフトを様々な産業で起こしていきたいと考えています。​

取引の効率がよくないビジネスにネット通販やマーケットプレイスの仕組みを導入することにより需給のマッチングをより滑らかにして取引の効率を上げていく、そしてアナログだった取引管理の仕組みを導入していくことで生産性を上げていく。ラクスルではこの「生産性の向上」にフォーカスしたデジタルシフトを推進しています。
野内:非常にわかりやすいですね。マーケットプレイスは、これまでは単に分散した情報が集まる場所というイメージが強かったですが、今は集まるだけでは価値は生まれず、取引やプロセスとセットになることで商品・サービスとしての価値を生み出している。

例えば、Uberは車が集まっただけでは何の価値も生み出しませんが、それが”アプリで呼べる”というプロセスとネット決済できるという取引と結びつくことで新しい価値を生み出しているわけです。松本さんがおっしゃる通り、デバイスの進化がこうしたデジタルシフトに大きく寄与しており、インターネットが誕生してパソコン、スマートフォンの普及が進んできたことによる当然の“あるべき姿”ではないかと思います。

■AIやloTなど、最先端のテクノロジーだけでなく まずは世の中に浸透したテクノロジーの実装を

野内:ちなみに、10年前にはiPhoneをはじめとするスマートフォンがここまで世界を大きく変えることはなかなか想像できなかったと思いますが、いまでは当時は想像すらできなかったことが次々に実現している。これから先、デジタルシフトはどのように加速していくのでしょうか?

松本:私は、「自分の理解できることをやろう」という考えでいます。世の中はAIやIoTをはじめとにかく最先端の新しいテクノロジーに注目する傾向にあります。確かに新しいテクノロジーのうちいくつかは間違いなく世の中を大きく変えていきますが、一方で“コモディティ化したテクノロジー”を過小評価しすぎではないかとも思うのです。

例えば「インターネット」というテクノロジーをとっても、一般化しているテクノロジーは適用できる範囲が(新しいテクノロジーと比較して)もっと大きいのに、実は多くの産業でまだまだ適用されていないわけです。

AIや5G、AR・VRの可能性について「よくわかりません」という人は多いかもしれませんが、すでに活用法が確立しているインターネットのことを「よくわかりません」という人は少ないですよね。しかし私は、そうしたテクノロジーにこそ変革の余地が多くあると思います。世の中に浸透しているテクノロジーであれば、どのような変革を生み出せるか想像することは難しくありません。
松本:もっとも、そのようなコモディティ化したテクノロジーがまだ実装されていない領域はまだまだ多くあり、まだまだチャンスがあると考えています。むしろ、新しいテクノロジーを活用した製品・サービスよりも理解されやすく、世の中に浸透していくのではないでしょうか。そこに、デジタルシフトの可能性があるのではないかと考えています。

■デジタルシフトとは、世の中の”当たり前“を変えていくこと

松本:私は、デジタルシフトは世の中にある“当たり前”を変えていくことだと思います。水を汲むことを例にしましょう。かつてはバケツを持って川や井戸に水を汲みに行っていましたが、それは当時の人々にとっては“生活するためにする当たり前のこと”であり、全く苦にはなっていませんでした。しかし、そこに水道網が整備されて蛇口をひねると水が出るようになると、その瞬間から水を汲みに行くという作業はストレスの掛かる大変な作業になるわけです。

私たちがすべきことは、この“水道網を整備する”という作業。多くの人が気づいていない「このテクノロジーを導入すればこのようにプロセスが変わる」という変化をもたらし、世の中に“常識のシフト”を生み出すことではないかと思います。​そのためには、その変化が世の中に納得感をもって理解してもらう必要がありますが、コモディティ化しているテクノロジーのほうがそのハードルが下がると思うのです。

■デジタルとアナログの融合により、新しいビジネスモデルが登場する

――BtoCの領域では様々なデジタルサービスがキャズムを越えたと考えられていますが、今後ビジネスの領域でデジタルシフトを浸透させていくためにはどのような課題があると思いますか?

松本:私は、BtoCの領域においても多くの分野でキャズムはまだ超えてはいないと考えています。BtoCにおいてもBtoBにおいてもまだデジタルが世の中に浸透したとはいえず、これからが普及に向けた本当の挑戦になるのではと思います。

野内:私たちの取引先にはリテール系企業が多いのですが、まだ圧倒的にリアル店舗のみの企業が多いですね。リアル店舗はデジタル化を推進しなければ、デジタル中心にビジネスを展開するECサイトの世界との間にビジネス上の大きな断絶が生まれてしまいます。

この断絶を繋げるためのリアルとデジタルの融合、具体的には商品データや取引・決済データの繋ぎこみは大きな課題です。リアル店舗を運営する企業はこの点に高い意識を持っていますが、実際に実現するためには相当な時間を要すると思います。
野内:リテールビジネスはBtoCですが、BtoBはもっと厳しいと思います。BtoBでデジタルシフトを完全に実現した企業は?と聞かれて、企業を挙げるのが難しいほど。私たちオプトでさえ、デジタルシフトを標ぼうしておきながら、社内のプロセスがすべてデジタル化しているかといえば、そうではないわけです。

松本:デジタルシフトはこれから過渡期に入っていくのではないかと思います。例えば、中国アリババは「ニューリテール戦略」を掲げましたが、彼らは「リテールそのものの在り方が変わっていく」と言っています。取引の完全なデジタル化ではなく、店舗の機能そのものをデジタル化しながら、店舗自体はその在り方を変えて新しいスタイルとして存続していくという考え方です。これは印刷や物流の領域でも同じことが言えます。

例えば、デバイスのデジタル化がどんなに浸透しても、アナログな印刷というビジネスは絶対になくなりませんし、デジタルマーケティングが浸透しても、オフライン広告は絶対になくなりません。しかし、デジタルによってアナログなものの在り方や価値が変わる「ニューリテール」に相当する変化、新しいビジネスモデルの登場はこれから生まれていくのではないかと思います。ラクスルが挑戦したいのは、まさにこうした領域です。
野内:確かに、オフライン広告そのものは今も多くの広告主が利用していますが、その手段はどんどんデジタル化が進み、形が変わっていますよね。「ニューリテール」もしかり。ただ店舗に行って商品を吟味してレジで購入するという従来の姿から、決済のキャッシュレス化をはじめ様々なデジタル化が進むことで新しいユーザー体験が生み出され、デジタル・アナログを区別することも必要ない新しい店舗の在り方が生まれるのかもしれません。

このような変化はデジタルシフトの典型的な例なのかもしれませんね。松本さんのおっしゃる通り店舗は絶対になくならないし、むしろ増える可能性もあるのではないかとも思います。オンラインでは買いにくいものをニューリテーラーがオフラインで提案して、購入はオンラインで行うという新しい形の体験が生まれるのではないでしょうか。